3.今われわれには何が求められているのか
市場のなかで自己資本の充実を図るのが大原則
現在、市場を通じて日本に問われているのは、これまでの問題先送り姿勢を排するとともに不良債権問題に対し解決の道筋をつけることにより、貸し渋りと称される銀行による与信機能の異常収縮を反転させ、日本経済の活性化を図ることができるか否かという点である。アジア最大の経済大国である日本に対してはまた、経済的「汚染」の輪を断ち切り、深刻な経済危機に直面している東アジア諸国の景気回復を促すとともに国際経済システムの安定化に貢献するという観点からも、経済面での再生が強く要請されている。その一方で、経済問題の解決に際しては民間セクターのイニシャティブを重視し、公的資金による資本増強が緊急事態への対応措置として是認されたとしても、国家や公的金融が民間経済活動に関与する度合いが長期間にわたって高くならないよう留意しなければならない。加えて、経営危機に瀕した銀行の国有化、公的資金による銀行への資本注入は、国の強大な信用力を背景として当該銀行を流動性危機から一時的に救出しうるが、不良債権問題を抜本的に解決するわけではない。それらはあくまでも緊急避難的な措置であり、問題の解決に際しては不良債権の抜本的な処理、徹底したリストラが必要という点では市場を通じた解決となんら変わるところはないからである。
不良債権処理の進捗とともに過少資本となった日本の銀行が反転して攻勢に出るためには増資が不可欠となる。しかし、そうした事態に陥ったとしても、国家に安易に頼ることなく、市場のなかで自律的に立ち上がることが求められる。そうした胆力を日本の銀行経営者が兼ね備えていない限り、不良債権あるいは信用収縮問題の本質的な解決はありえない。それゆえ、政府においてはむしろ、民間セクターのなかで自律的に自己資本の増強を図ろうとする動きを支援し、銀行信用が市場になかで内生的に拡大していくメカニズムを整備することが求められる。それはまた、ビッグバン後の姿を展望のうえ、21世紀日本の金融を自己統治の原則に基づく透明性の高いものへと改編するという中長期的な構造改革との整合性にも配慮したものでなければならない。
こうした観点に立って、われわれは去る6月29日、第3者割当増資の実行などを通じて、(1)与信量の拡大、(2)貸出資産の内容の好転、(3)新しい与信先の開拓、といった課題の達成に積極的に取り組んだ銀行に対しては、そうした動きを側面から支援するためにも、納税者から特別の報酬(ボーナス)を授与する仕組みの創設を提唱した。(「政策提言:金融システムの安定化と日本経済の再生に向けて」)その後、旧財閥系銀行を中心としてグループの有力企業に対し第3者割当増資の引受けを打診する、あるいは投資家と直接対峙のうえ資本調達を行おうとする動きがみられるに至っている。
情勢を一変させたロシア危機
しかし、残念ながら、本年8月中旬に勃発したロシア危機を契機として金融資本市場はわれわれの予想をはるかに越えるスピードで急変した。すなわち、ロシアが突然デフォルトを宣言したことから、ロシアの安全性に賭けて同国発行の国債を大量に保有していた欧米の有力投資銀行や銀行が大火傷を負い、それがまた国際的な規模で信頼の危機を誘発し、投資家による安全資産への逃避、つまりリスク度の高い資産から国債に代表される安全度の高い資産へのシフトが急速な勢いで生じたのである。そうしたなかで、市場の価格発見機能、需給調整機能は大きく低下し、「市場の失敗」と呼ぶにふさわしい状況に陥った。こうした傾向は9月中旬に大手ヘッジファンドの事実上の破綻が表面化して以降とくに顕著となり、円・ドル相場や世界各国の株価はかつてない規模で乱高下するに至った。このような資産価格の乱高下は、金融界はいうに及ばず産業界からみても決して好ましいことではなく、市場が速やかに落ち着きを取り戻し、その価格発見・資源配分機能が正常な状態に復することが切に望まれる。
実際、アメリカにおいては、金利が低下傾向にあるにもかかわらず、国内債券市場での起債額が8月半ばまでの1日平均7億ドルから8月後半以降は1億ドルへと急激な勢いで縮小し、つれてクレジット・クランチの広範化が懸念されるに至っている。それはまた、経済のファンダメンタルズを直截に反映して変動すると考えられていた資産価格が景気動向に強い影響を及ぼすという経済学が通常想定するのとは逆のメカニズムが働いていることを示唆している。そうした意味で、後から振り返れば、1998年8月は20世紀の資本市場の動きを語るうえでのエポック・メイキングな月であったということができるのかもしれない。
日本の場合、そうした金融資本市場での国際的な動きに加え、わが国独特の要因が作用し、問題がさらに複雑化している。すなわち、銀行のディスクロージャーや政府の銀行監督政策に対する内外投資家からの不信感の高まりあるいは信頼感の喪失という独特の要因が作用し、政府が正しい方向での政策を打ち出したり、銀行が情報開示を適切に行ってもほとんど市場が反応しないという憂慮すべき事態に陥りつつある。例えば、大手銀行はこの6月、鳴り物入りでSEC基準とほぼ同等のベースでの不良債権金額の公表に踏み切った。しかし、不良債権の保有主体が引き続き銀行単体ベースに限られたため、そういった行為そのものが逆に海外投資家による日本の銀行のディスクロージャーに対する不信の念を一段と強め、その後の銀行株価の急落につながったということができる。また、一時国有化の事態に追い込まれた日本長期信用銀行を健全であると言い続けてきた政府の判断に対しても海外銀行からは不信の念が高まり、市場での銀行監督政策の評価を示すジャパンプレミアムは拡大することになった。
こうした海外投資家による不信感の高まりは、銀行に限ったことではない。非金融法人部門においても、そのディスクロージャーの信頼性に対し疑問の声があがりつつある。東食、大倉商事など、不良債権の存在を何度も否定してきた企業が突然、会社更正法の適用を申請するという事態に陥ったほか、「バブルの清算は終わった」としてきた企業がその子会社ノンバンクの清算を公表するなど、ディスクロージャーが不十分である事例には事欠かない。
求められる政府による強力なメッセージの発信
以上述べたとおり、本年8月以降、わが国をはじめとして主要国に金融・為替・資本市場の機能は「市場の失敗」といっていいほど、正常に機能しなくなっている。こうした事態を早急に改善するためには、政府が率先して市場に対して力強いメッセージを発し、市場機能が正常な状態に戻るよう後押しすることが求められる。これこそが経済学でいう「市場が失敗した時における政府の役割」であり、そうした政府による市場への介入は正当化されよう。マクドノー・ニューヨーク連銀総裁は本年9月、大手ヘッジファンド、ロング・ターム・キャピタル・マネージメント(LTCM)の事実上の破綻が国際的なシステミック・リスクの顕現につながるのを未然に防止すべく、アメリカの大手銀行および投資銀行による緊急融資団の組成に尽力した。これについてはLTCM救済といった批判がありうるかもしれないが、まさに市場機構の維持を目的としたスピード感溢れる素早い行動であり、各国資本市場を国際的な動揺の嵐から水際で守ることに成功したという点で高く評価できる。
ただし、そうした場合であっても、政府による介入はあくまでも市場機能が回復するまでの緊急避難的な措置あるいは市場機能回復のための呼び水と位置づけ、市場における公正な価格形成、私的自治および財産権の尊重という資本主義の基本原則の貫徹を妨げないよう留意する必要があるのはいうまでもない。わが国においては、銀行が長年にわたって不良債権問題の処理を先送りしてきたという点を批判するあまり、問題の早期解決のためには貸倒引当金積み立ての強制あるいは強制的な資本注入の実施を行うべきだとする論者がここへきて増大している。この提案は、事態を打開するための措置として、もっともらしく聞こえる。しかし、子細に検討すると、そうした主張は銀行株主と経営者との間の契約を無視した金融社会主義への移行を事実上意味する可能性がある。万が一そうした政策が採用された場合、政府が個別の融資案件に介入することさえ予測されるほか、民間部門における経営努力、創意工夫の余地が消滅し、銀行のみならず産業界も含め、経済全体としての活力が削がれるとともに生活水準の低下につながりかねない。したがって、政府による市場介入を容認したとしても、あくまでも限定的な範囲にとどめ、国家が金融の配分権を握るという事態には陥らないよう配慮しなければならない。
規律づけは民間に委ね、無条件で補助金を支給する
それゆえ、われわれとしては、市場の失敗の背後にある信用不安、相互不信の根を絶つことや日本経済の成長・発展に不可欠な与信拡大メカニズムの再構築を目指して、政府が市場の外から日本の金融経済のあり方に関する明確なメッセージを発することを提唱したい。この信用不安、相互不信は、各参加者が互いに信頼して協調的な行動を採らないため最適な解が実現できないという「囚人のディレンマ」と呼ばれる状況に日本経済が陥っていることを示唆している。政府に対しては、そうした状況からの早期脱却を図るためにも、市場参加者に対し相互に協力のうえより高いペイオフ(利得)の獲得を目指して行動することを呼びかける強いメッセージを発出することが求められていると判断されるからである。
やや極端な議論をすると、現下の日本における最大の経済問題は銀行の不良債権問題ではない。不良債権処理の先送りにより発生した信用不安、銀行による与信機能の低下の結果として発生した流動性不足である。日本の銀行、一般事業法人はともに、1980年代後半にみられたバブル経済に酔いしれた結果、バブルの崩壊とともに先に指摘したように資金不足の状態に陥っているのである。仮に銀行経営者の責任を問うのであれば、今後、日本の金融システムに対する内外投資家の信頼感の回復、あるいは与信機能の再構築に対しどれだけ貢献したのかといった観点から議論するほうがより生産的であると思われる。
日本経済再生のためには、不良債権問題に関連する責任はとりあえず不問としたうえで無条件で銀行部門に大胆に公的資金を注入し、与信機能を拡大・強化のうえ資金不足問題の解消に努めることが求められる。また、日本の企業による内外市場での生産・販売活動や国際的な展開を金融面から支えるためには日本の銀行の経営基盤強化が不可欠であり、そのためにも、公的資金による銀行の自己資本増強は喫緊の課題であるということができる。ここにおいてきわめて重要な役割を演じるのが、政治家、政府当局者に代表される公人の胆力とでも称される一種の政治的決断である。実際、アメリカにおいては先に述べたマクドノー・ニューヨーク連銀総裁によるLTCM救済、ブラックマンデー時におけるグリーンスパンFRB議長による大胆な証券ディーラー向け金融の奨励など枚挙に暇がない。今回の流動性危機からの脱却を図るためには、わが国においてもそうした公人による決断が不可欠となっているといえよう。
この間、いわゆる長銀問題をめぐる国会審議のなかで、銀行が破綻した場合、当該銀行が抱える金融派生商品取引あるいはデリバティブズが一瞬のうちに国際的なシステミック・リスクを引き起こし日本発の世界恐慌を招来するおそれがあるため、国際業務を営む銀行を破綻させることはできないと主張された。そして、他方、この命題の妥当性をめぐって、デリバティブズの大部分を占める銀行間取引については相手先が破綻したときには一括清算する旨規定されているため、そういった事態が発生するとは考え難いとして、大手行も破綻させることは可能という反論が聞かれたが、いずれの主張が正しいかは未だ明らかになっていない。
この点に関し、われわれとしては、巨額のデリバティブズを抱える銀行の破綻はデリバティブズ市場を確実に混乱させ、価格機能が一時的に麻痺することは避けられないが、システミック・リスクが顕現するか否かは民間部門の対応に大きく依存すると考えている。LTCMの事実上の破綻が表面化して以降、デリバティブズのポジションを手仕舞う動きが広範化し、その結果、市場における需給が大きく崩れ、価格機能が変調を来たしたという事実から判断すると、巨額のデリバティブズを抱える銀行の破綻とともにデリバティブズ市場が混乱に陥ることは避けられない。しかし、デリバティブズ市場関係者が互いに知恵を出し合い、緊急避難策を講じることができれば、そうした悪影響を最小限にとどめることはできる。実際、LTCMの事実上の破綻への対応、ベアリング・ブラザーズ社破綻とともに表面化した日経平均先物取引の解約作業円滑化を目的とした証券会社による流動性支援など、民間部門による危機回避策が実行に移されれば、悪影響はかなりの程度封じ込めることができる。その意味で、危機の発生回避のためには、民間部門においても公人に類した経営者の登場が期待される。
公的資金による銀行資本の増強は、直接的には銀行に対する補助金の供与という形態をとるが、その経済効果の受益者は銀行だけにとどまらない。資本注入を受けた銀行においては資金不足問題が解消し、貸出余力が発生する。そして、これが取引先企業に対する与信に振り向けられれば、企業部門における資金不足問題、あるいはクレジット・クランチは自ずと解消され、景気もやがて回復軌道に復することが期待される。加えて、公的資金の注入により銀行に対する信用不安が払拭されると、資金調達を目的とした持ち合い株の放出も漸次影を潜めるとともに株価の下落も止み、日本が世界経済の安定に対し実体経済および金融面の双方から貢献することになる。
このように考えると、公的資本注入の受益者は、銀行のほか、取引企業およびその従業員など、きわめて広範囲にわたることがわかる。銀行の資本増強を目的とした公的資金の注入はまた、これまでの間、銀行が暗黙のうちに担ってきた取引先企業の経営安定化を通じて雇用を確保し、社会の安定を図るという役割を政府部門に戻すための構造改革措置ともいうことができる。こうした経済波及効果の高い補助金の支給については費用便益分析の観点からも十分正当化されうるものであり、その速やかな実行を促すためにも補助金の支給を入り口における責任論で狭めるのは不合理な判断ということができる。
もっとも、そうした場合には、資本の増強を目的として公的資本が注入された銀行を一体誰が監視するのかが問題となる。資本主義の原則に照らし合わせると、先に強調したように、この役割を政府が担うのが望ましいとはいえない。市場を通じた効率的な資金の配分の実現が阻害され、一般事業法人の経済活動にも無視しえない影響が及ぶと考えられるからである。それゆえ、公的資金の注入に際しては、銀行自らによる市場での増資を義務づけ、そうした新しい資金の出し手、リスクの担い手に規律づけを委ねるのが適当と判断される。銀行が増資を行うということは、銀行経営者が自らの責任を明らかにするとともに経営改善計画を提示のうえ、投資家の信を問うことを意味する。出資者を新たに募るに際しては、経営資源の絞り込みやリストラを通じて利益を向上させることを株主との間で具体的に約束しなければならないからである。これは、銀行の経営者、従業員双方にとって多大な痛みを伴うきわめて厳しいものであるが、避けて通ることはできない。それゆえ、民間部門における新たな出資者に銀行の監視を委ねてもとくに大きな問題にはならないだけでなく、資本主義の原則に照らしてもそのほうが望ましいといえる。
税制改革、郵便貯金改革などもパッケージであわせて実施する
危機と好機はコインの裏表である。それゆえ、現下の経済危機を単に憂うるにとどまらず、「窮すればすなわち転ず」というように好機として受け止め、平時においては実行が困難な経済制度の変革にも果断に取り組むことが求められる。
例えば、公共投資の重点配分や郵便貯金制度の民営化が挙げられる。景気刺激策としての財政政策の有効性を高めるためには、従来のバラ撒き色の強い配分を排し、都市基盤や情報インフラの整備などに公共投資を重点配分することが求められる。また、郵便貯金は現在、個人金融資産残高の2割を占めるなど、個人の余資運用手段として圧倒的なシェアを誇っている。そして、不良債権問題の高まりとともに郵便貯金への預金シフトが発生している。この郵便貯金シフトが民間金融機関の資金吸収力の低下を通じて銀行の資金不足を拡大させ、その与信能力を減殺する方向で作用している点は否定できない。いうまでもなく、個人預金の郵便貯金シフトは民間銀行の資産内容の悪化をも反映したものであり、その意味で単純に郵便貯金のみを責めるわけにはいかないが、国家保証の預金の存在そのものが国内金融市場における資金配分や資金の循環メカニズムに加え、個人のリスク感覚を歪めているという事実を直視する必要があろう。それゆえ、ビッグバン後の21世紀日本の金融を展望すると、この際、思い切って郵便貯金の民営化を図る必要があると判断される。
このほか、日本経済の活性化を促すうえでは、新たにリスクをとる新しい企業の誕生や租税、年金、医療・介護保険を含めた全体としての国民負担に関する先行き不安感を払拭することが望まれる。それゆえ、そうした進取の精神に富んだ起業家の登場を促すためにも、簡素な税制の実現、配当課税の見直し、有価証券取引税の廃止など、わが国税制を起業家にやさしい税制へと変更することや、所得税・年金・医療保険の改革が求められる。
経済学の有名な定理に、ティンバーゲンの定理というものがある。これはオランダの経済学者であるティンバーゲンが見出した経済政策のあり方にかかわる命題で、「複数の経済目標がある場合、それらすべてを達成しようとするには同じ数だけの政策手段が必要である」と主張される。現下の日本経済は「囚人のディレンマ」という言葉が端的に示すように、不良債権問題が先送りされるなかで生じた信用不安、相互不信が銀行および企業における流動性不足を招来し、それが国内における閉塞感を生み出しているということができる。こうした事態の改善に目途をつけるためには、上述の経済政策上の各テーマについて新しい観点に基づく位置づけを行うとともに、その結果として導かれる実行方法をひとつに束ねた総合的なパッケージ政策として速やかに実行に移す必要があると思われる。