2. 不良債権問題は一体どういう経路を通じて日本経済に悪影響を及ぼしているのか
以上、前節では不良債権問題に関するわれわれの認識を開陳したが、ここでは計数面での動きを中心として不良債権問題がどういった経路を媒介として日本経済、ひいては世界経済に対しどのような悪影響を及ぼしているのか、簡単に説明することにしよう。そうしたなかで、われわれとしては、貸し渋りという言葉で形容される現下の異常な信用収縮は、不良債権の償却進捗に伴う財務内容の悪化に起因するといった単純な現象ではなく、不良債権処理が先送りされるなかで一般の人々の目には見えないところにおいて日本の銀行が資金不足の状態に陥ってしまい、産業界などに資金を融通する余力を欠くに至ったという非常に根の深い問題であることを明らかにしたい。
貸し渋りはまず海外の銀行間市場で始まった
現在、日本においては一般に、貸し渋りは銀行が借り手企業に対する貸出を抑制・削減することを意味する言葉として利用され、昨年11月の金融システム不安の高まりを契機として突如生じた現象のように理解されている。しかし、貸し渋りは決して国内における銀行と借り手企業との間での資金融通がギクシャクするという問題のみを意味する言葉ではない。実は日本の銀行は、1995年の夏場ごろから国際金融市場における銀行間取引で既にそういった問題に直面していたのである。これが、いわゆるジャパンプレミアムという問題である。
国際金融市場において各国の銀行は相互に資金の融通を行っているが、そうした資金取引はLIBOR(London Interbank Offered Rate:ロンドン市場での銀行間取引における出し手金利)と呼ばれる金利を基準として行われる。1980年代後半までの間に絶大なる資金量で世界の金融市場を席巻してきた日本の銀行は最上格の格付けを梃子として、当然のようにこのLIBORもしくはそれを幾分下回る水準の金利で資金を調達することができた。しかし、1995年夏を境にして状況は一変した。日本の銀行のほとんどすべてがLIBORをいくらか上回る金利を支払わなければ国際金融市場において資金を調達できない、あるいは海外の銀行が日本の銀行に資金を貸してくれなくなるという事態に陥ったのである。日本の銀行による国際的な資金取引に適用される金利が基準金利を一斉に上回る現象をとくにジャパンプレミアムと呼ぶが、そうしたプレミアムの支払いを要求されること自体、個別銀行ではなく日本の金融そのものに対するリスクが懸念されたことを意味している。その結果、財務内容の健全性如何にかかわらず、日本の銀行のすべてが資金調達コストの上昇に直面することになったのであり、その意味でジャパンプレミアムは一種のカントリーリスクを示すといえる。
このジャパンプレミアムは1995年7月末におけるコスモ信用組合の経営破綻を引き金して発生した。そして、同年8月末の木津信用組合、兵庫銀行の破綻やムーディーズ社による日本の銀行の財務格付け発表を契機としてジャパンプレミアムは一気に拡大した後、10月半ばにおける大和銀行事件の表面化でさらに膨れ上がった。この時におけるジャパンプレミアムは一時的には1%に及ぶ水準にまで上昇したが、平均すると0.3〜0.5%程度にとどまっていた。幸いにも、1995年ジャパンプレミアムの高騰は、破綻金融機関処理の枠組みを定めた金融3法および住専処理法が96年6月に成立し、日本の金融システムに対する不安感が一応解消されたことや銀行による外貨建て債権の圧縮努力もあって、数ヶ月のうちに沈静化した。しかし、翌97年11月の三洋証券破綻に端を発する一連の大型金融機関の破綻により日本の金融システムに対する不安がよぎるなかでジャパンプレミアムが再び拡大した。
ジャパンプレミアムの発生からクレジットラインの縮小へ
その後、1998年入りとともにジャパンプレミアムは縮小に転じたが、今回の場合、95年当時の局面とは異なり0.2%程度の水準以下に低下することなく現在に至るまで長期間にわたって続いているところに特徴がある。このことは、1997年11月における金融機関の大型倒産の発生を契機として、その後、海外投資家による日本の金融システムそのものに対する信頼感が大きく低下したことを示唆していると解釈できる。そして、本年6月の日本長期信用銀行に対する信用不安の高まりを契機としてジャパンプレミアムは再度上昇した後、今日に至るまでの間、高止まったまま推移している。このように日本の銀行あるいは金融システムの安定性に対する海外投資家の信頼感が動揺するなかで、海外の有力銀行においては、金利の上乗せにとどまらず、クレジットラインと呼ばれる日本の銀行に対する信用供与枠あるいは資金取引枠そのものを削減する動きが漸次広範化、「少々高い金利を支払えば外貨を調達できる」という状況から「いくら金利を支払っても外貨を調達できない」という事態にまで発展し、外貨資金の調達面から日本の銀行による国際銀行業務が制約されるようになっているのである。
図表2は、日本の銀行が有する対外純資産の推移を示したものである。この図表からも明らかなように、その対外純資産残高は1995年におけるジャパンプレミアム発生を契機とした外貨建て資産圧縮の動きもあって96年を通して若干ながらも減少をみていたが、97年後半、とくに10月以降は一転して大幅な増加に転じ、その後も高止まったまま推移している。これは一体何を意味しているのだろうか。ここで留意を要するのは、対外的な投融資動向を示す総資産ではなく、総資産からそれにかかわる調達額を控除した純資産が大幅に増加しているという事実である。国際資金取引(とくに対外貸付)に使用される通貨は通常、アメリカドルであり、日本の銀行もその例外ではない。しかし、日本の銀行の場合、アメリカの銀行とは異なり、アメリカドルについては預金などの直接的な調達手段を有していないため、インターバンク市場などで外銀からドルを借り入れてそれを貸出に充当するというのが一般的な形態となっている。そのため、貸出が縮小すれば、借入も自動的に縮小する筋合いにあるため、対外純資産額自体、そういった貸出資産圧縮による影響を受けないはずである。
それにもかかわらず、外貨調達の増加を伴わずに対外純資産残高が伸びているということは、円を売ってアメリカドルを買った、つまりアメリカドル建て貸出を支える資金調達がアメリカドルから円に切り替えられてきたことを示唆している。これが、いわゆる円投と呼ばれるものである。換言すると、日本の銀行は国際的なインターバンク市場でのドル資金調達においてジャパンプレミアムという上乗せ金利を要求される状態からドル資金の供与そのものを削減される事態に陥るなかで、やむを得ず自らが国内で調達した円資金を海外に持ち出し、為替市場でドルに交換のうえ貸出の原資に充当しているのである。こうした事態への対応措置として、日本の銀行の多くは、このほか、採算が合わなくなった外貨資産運用の縮小、さらには海外拠点の閉鎖に踏み切ることになった。
これを国際的な資金フローの観点から捉えると、日本が国際的な信用収縮の起点となっている可能性を否定することは困難と思われる。とりわけ、1980年代後半以降、日本の銀行による対外貸付額の約8割はアジア諸国向けが占めるという事実が示すように、アジア市場は海外業務運営上の戦略的な重点地域として位置づけられ、各銀行とも積極的にアジアでの与信を拡大させてきたため、日本の銀行による外貨資産の縮小はアジア諸国における信用収縮を結果として意味する。そして、それがまた、アジア通貨・金融危機の長期化、日本企業によるアジア向け輸出の減少という経路を通じて国内景気に波及してくることにも留意する必要がある。それゆえ、通貨金融危機に喘ぐアジア諸国の景気回復を支援するとともに日本の景気回復を促すためにも、不良債権問題に起因するわが国銀行の流動性不足問題について早急に解決の目処をつける必要があるということができる。
銀行にもお金がない
こうした日本の銀行による円投の顕著な増大は、当然のこととして、国内金融市場に対し何がしかの影響を及ぼすと考えられる。それがまさしく国内市場における貸付可能資金の枯渇であり、円投の増大が貸し渋りの増大に一役買っているのである。
わが国において貸し渋りが議論されるに際しては、BIS(国際決済銀行)基準による自己資本比率規制が銀行貸出の伸びを制約していると解釈されるのが一般的となっている。つまり、不良債権の償却増大とともに銀行の自己資本が減少した結果、最低8%という自己資本比率規制を維持するために銀行は貸出資産の圧縮を優先せざるをえず、そのため、新規融資に応じえなくなるだけでなく、既存融資の回収にも踏み切っていると理解されている。もちろん、こうした捉え方は一面の真実を描き出している。しかし、実際には、「貸したくても原資がない」という事態に陥っているのである。そして、日本の銀行において貸出資金が枯渇し始めた背景としては、次に掲げる3つの要因を指摘することができる。
第1は、先にも触れた海外市場での外貨資金の調達難に起因する国内資金繰りの逼迫である。この面からの資金繰りの繁忙化は、日本の金融システムに対する不安が払拭されない限り、解消し難いだけでなく、日本の銀行に対する格付けの低下とともにさらに深刻化していくおそれがある。
第2は、貸出資金の固定化である。図表3は国内銀行による貸出残高の推移を業種別にみたものであるが、これからは、製造業向けの融資が大きく後退するなかで、バブル崩壊後8年を経たにもかかわらず、建設・不動産・ノンバンク向けおよび地方公共団体向け貸出が横這いないし増加していることが見てとれる。このことは、地価下落に伴う痛手を被った業種向けあるいは第3セクターを抱える地方公共団体向けの貸出金が不良債権として固定化していることを示唆しており、それがまた、郵便貯金の肥大化に伴う預金吸収力の低下と相俟って銀行の貸出余力を減退させていると考えられる。その意味では、銀行による不動産関連業種への支援継続が中小企業に対する貸し渋りの原因のひとつを構成している、あるいは不動産関連業種における経営安定化、雇用維持のためのコストをその他の中小企業あるいは中小企業の従業員が支払わされているとも解釈できる。
第3は、含み益を吐き出した持ち合い株式の保有継続がもたらした資金繰りの窮屈化である。銀行はこれまでの間、大量の不良債権償却を業務純益と呼ばれる期間損益と保有株式にかかわる含み益の吐き出しで賄ってきた。しかしながら、持ち合い株式の大半は取引先企業との長年にわたる関係のなかで継続的な保有を約束したものであったため、その売却に際しては、一旦市場で売却して売却益を確定した(これを含み益の吐き出しという)後、市場から再び買い戻すというかたちをとらざるをえなかった。こうした売買手法を採用すれば、取引先企業との約束を遵守できる一方で、損益計算書上は大量の売却益を計上できるため、不良債権の償却原資もあわせて確保することができたからである。しかし、その一方で、この売却益は帳簿上の収益であり、実際にはお金が一切銀行の手許には残らないだけでなく、売却益計上による税金支払い分だけお金が流出するため、むしろ逆に資金繰りを悪化させる方向で機能した。ちなみに、こうした償却原資の確保を目的とした株式含み益の吐き出し行動は、図表4で示される銀行の総資産に占める株式(取得簿価)の割合が年々上昇していることからも容易に読み取れる。
企業は資金調達のため、持ち合い株式の売却に走る
それでは、日本の企業はこの資金不足にどのように対処しているのであろうか。論理的には、次の2つの方策がありうる。ひとつは、新規投資の取り止め、業容の縮小である。お金が借りられないのであれば、生き残りを目指して体力消費の抑制を図りつつ事態の改善を待つという「しのぎ」が現状への対応措置と考えられる。実際、中小・零細企業を中心として、この「しのぎ」という内向きの姿勢が瞬く間に広範化するなかで1998年度入りとともに設備投資の取り止めが相次ぎ、それがまた景気の足取りを一段と弱めることになったのである。冒頭で述べた機械受注の極端な落ち込みには、こうした中小企業の行動変化がかなりの程度寄与していると思われる。
もうひとつは保有資産の売却である。残念ながら、不動産をお金にするには時間がかかり過ぎる。現在、日本の企業が保有している資産のなかで最も換金性に富むのは株式であり、実際に売却可能な資産は株式しかない。それゆえ、窮余の策として一般事業法人による持ち合い株式の売却が一斉に始まった。銀行もしかりである。その結果、銀行のみならず、事業法人の株価が急落し、それがまた日本経済の先行き見通しに暗い影を投げかけている。株価の下落は当該企業に対する市場での評価の低下を意味するため、とりわけ銀行株価の下落は銀行に対する内外投資家からの信頼感をさらに低下させ、その与信機能を一段と収縮させる方向で働いている。いうなれば、日本経済は流動性不足を背景として「囚人のディレンマ」と呼ばれる状態に陥ってしまったということができる。
こうした資金不足と株価下落との悪循環を断ちきると同時に「囚人のディレンマ」から脱却するためには、緊急事態対応として政府が株式の買い入れを宣言し、株価の下支えを行うことが必要と思われる。この株式の買い取りは日本的経営の核心を形成していた株式の相互持ち合いという構造問題を解きほぐすうえで避けられない株式売却の株価への影響を最小限の範囲にとどめようとするものであるため、国民経済的な観点からは是認されよう。そしてまた、政府による株式の買い入れは資金不足に喘ぐ企業に対し、政府自らが資金を直接提供することをも意味するため、日本経済が直面している流動性不足問題の解消にも大きく寄与することが期待される。
以上まとめると、銀行の不良債権問題は、その償却に伴う自己資本の毀損を通じて現下の貸し渋りという信用収縮の構造を生み出しているようにみえるが、不良債権の存在そのものが銀行に対する市場からの信認の低下を通じて財務諸表から判断される資産内容の劣化以上に水面下で銀行の生命線ともいえる資金繰りを大きく圧迫してきているのである。大手行といえども流動性がかなり不足しており、「貸したくても貸せない」のがまさに日本の銀行が現在おかれている状況であるといっても過言ではない。このように銀行という信用仲介の根幹に位置する組織が全体として流動性に逼迫しているということは歴史的にみてもきわめて稀な事態である。そしてまた、大手企業では持ち合い株式の売却により資金を調達するという動きが広範化しつつあるが、その結果、株価の下落が必至となっている。日本の経済の再生を図るには、資金不足に直面した産業界に対する資金融通を活発化させる必要があり、そうした課題を達成するためにも、銀行の資本増強を目的とした公的資金の注入や株式の買い入れ機構の創設が緊急事態対応として求められる事態に至ったということができよう。