1. 改めて不良債権問題の意味を問う

不良債権問題処理の遅れが金融不安や信用収縮をもたらす

 金融機関の不良債権問題処理の遅れ、また不良債権に関する情報のディスクロージャー不足が、金融不安の高まりや貸し渋りと称される与信機能の大幅低下を通じて日本経済に対し悪影響をもたらしている。実際、都市銀行などは2年ほど前から「不良債権処理は峠を越した」と説明してきたが、本年3月末における銀行の自己査定による分類債権残高は全国銀行計で72兆円(うち大手19行計は50兆円)、総与信額の11%(同11%)にも達している。しかし、これらの計数は銀行本体が抱えている不良債権にかかわるものであり、子会社、関連会社などの不良債権は対象外となっている。このため、欧米の機関投資家を中心として日本の金融機関のディスクロージャーに対しては不信の念が高まっており、一部には不良債権の規模は100兆円を超えるのではないかという推測も生れているが、その実態は明らかになっていない。それゆえ、巨額の不良債権を抱える日本の銀行は非難され、不良債権処理の遅れはすべて銀行経営者の怠慢に起因するかのように議論されるに至った。

 本当にそうなのだろうか。もちろん、現在の膨大な不良債権の大半が不動産関連融資に集中しているということ自体、いわゆるバブル期においては銀行の不動産関連融資が過剰なまでに増大したことを意味している。実際、バブル経済当時においては、製造業企業からの借入需要が大きく減退するなかで銀行融資が建設、不動産、ノンバンクという特定の業種に集中し、その結果、銀行の貸出ポートフォリオはそうした3業種向け貸出に偏した構造となり、いわゆる集中リスクを抱えることになった。ちなみに、大企業に対する設備資金の安定供給を目的として設立された長期信用銀行、信託銀行の場合、製造業向け貸出が大きく減少する一方で、建設、不動産、ノンバンク向け融資が伸長し、1998年3月末現在、3業種向け貸出の貸出金合計に占める割合は40%を超えるまで上昇している。その結果、現在のように、地価の下落が銀行資産の健全性を大きく左右する事態に至ったのである。こうした事実は、不特定多数の預金者から受け入れた預金を特性の異なる多数の借り手に対する貸出として運用することによりリスクを分散し、安定的な運用パフォーマンスを維持するという銀行に対して求められる社会的要請に反するものであり、その意味で、銀行経営者による貸出ポートフォリオに関するリスク管理の失敗という側面は否定しようがない。

なぜ金融機関は大量の不良債権を抱えているのか

 しかしながら、その一方で、銀行が貸出を増やしていった裏側には、借り手企業からの不動産取得を目的とした銀行借入需要があったことを忘れてはならない。借り手企業、銀行とも採算にあうと判断したがゆえに融資契約を締結したという点を踏まえて考えると、借り手企業における先行き見通しの甘さも不良債権問題の発生に寄与しているということができる。いわゆる住専問題の場合、公的資金の投入に際しては、住専経営者に加え、借り手企業の放漫経営が糾弾されたことと対比すると、この点はさらに明瞭になると思われる。現下の不良債権問題に関連してマスコミ等では、ゼネコン、不動産会社がバブル期に過剰なまでに不動産投資にのめり込み、その後の地価急落とともに経営悪化を余儀なくされていると報道されることが多いが、そのこと自体、不良債権問題の根源は借り手企業の投資判断の誤りにあることを如実に物語っているといえよう。

 このように考えると、不良債権問題の本質はバブル期に膨れ上がった借り手企業のバランスシートの下方調整が雇用維持、連鎖破綻の防止という美名の下で先送りされ、それに伴うツケが銀行に回されているところにあるということができる。マクロ経済的にみた場合、バブル期に大きく伸長した土地・株式関連投資の後始末あるいはバランスシートの調整が今なお不十分で、借り手企業が保有する不動産の時価がその簿価を大きく下回っている、あるいは不稼動不動産としてしこっていることが不良債権問題の背景を形成しているのである。実際、大手銀行による建設、不動産およびノンバンクという3業種向け貸出はバブル期に約69兆円増加したが、この8年間における同業種向け貸出残高の減少額は8兆円程度にとどまっており、その意味で、バランスシート調整は今なお不十分であるといわざるをえない。

 そしてまた、金融の仲介役であるべき銀行の資産内容が不良債権で大きく傷んでいるということを裏側からみれば、不動産投資の失敗とともに倒産すべき借り手企業が銀行株主の負担により倒産の危機から保護されているということに他ならない。あるいは、銀行が経営危機に瀕している借り手企業に対し支援の手を差し伸べているということを意味しているともいえよう。このように考えると、金融機関が抱える不良債権のかなりの部分を占める第II分類債権(回収に注意を要する債権)の多くは、このような3業種向け貸出のうち固定化した部分や、その後に実行された元利金の追い貸しからなるのではないかと推察される。実際、長銀が先般公表した第II分類債権の業種別内訳をみると、建設・不動産・ノンバンク向けが全体の約70%を占めるなど、われわれの仮説は無視できない。

 だからといって、銀行が免責されるわけではない。住専問題処理をめぐる議論のなかで明らかになったように、銀行自身、バブル経済のなかで自ら踊り、結果として不動産の高値掴みを余儀なくされたことは否定できない。加えて、一般事業法人による財テク投資を煽ったり、不良債権の適時・適切な処理を怠ってきたほか、株主や投資家に対する不良債権情報のディスクロージャーも不十分であったなどといった銀行自身の行動が、金融不安をさらに助長したという事実を忘れてはならない。なお、最近では、景気のさらなる悪化とともに売り上げ減を主因とする不況型倒産が増大しており、これが不良債権を増大させる方向で働いている点も見逃せない。

不良債権処理が遅れた背景

 銀行が長年にわたって抜本的な不良債権処理を先送りしてきた点については、どうみればよいのか。銀行においては不良債権の処理に要する巨額のコスト負担を嫌うとともに、競合関係にある他行との間の利益順位競争で遅れをとりたくないという勝手な思惑に加え、担保不動産の価値はまもなく上昇に転じるであろうと期待し続けるなど、経営面での甘さがあった点は否定できない。しかし、その一方で、不良債権の早期認識・早期償却を促す方向で作用することが期待された貸倒引当・償却制度そのものが、税制面での取り扱い基準により厳格に縛られていたこともあって、銀行が自らの判断で不良債権の償却を進めることを阻害し、それがまた、銀行経営者のモラルハザードをもたらし、不良債権処理の先送りを促してきたという事実もある。換言すると、企業会計上、不良債権処理を先延ばしすることが結果として容認されていたため、問題の処理が遅れたということができる。1980年代後半におけるアメリカのS&L危機の場合、危機が一段と深刻化していった背景のひとつとして、監督当局である連邦住宅貸付銀行理事会(FHLBB)が破綻認定の基準となる自己資本比率の算定方法を緩和し、問題を先送りしていった事実が指摘されている。わが国の場合、そういった事実が看取されないということ自体、先に述べたように、裁量的な銀行保護行政の下でもともと問題の先送りが可能となっていたことを示唆している。

 加えて、メインバンク関係という日本独特の金融取引慣行のなかで、銀行に対しては、「いざ」という時には経済合理性を度外視して危機に陥った企業に対し経営支援の手を差し伸べ、取引企業の破綻を未然に防いだり、連鎖倒産の防止や雇用の確保を通じて社会不安の高まりを未然に防ぐという公的役割を果たすことが期待されていた。このように考えると、不良債権問題の発生とその先送りは基本的には銀行経営者の先行き見通しの誤りとリスク管理の甘さに起因するが、不良債権の最終的な処理が遅々として進まなかったのは、不良債権の償却制度に代表されるように、ディスクロージャーの基礎を形成する会計制度の整備が遅れていたことや、本来政府が果たすべき機能を銀行が政府に代わって担っていたことを反映した結果であるとも考えられる。こうした種々の事情を背景として、不良債権問題処理の先送りが促されると同時に、バブル期に不動産投資に踊った借入企業も整理されずに今日まで生き残ることとなったのである。

 言い換えると、問題の先送りと非難されつつも銀行が不良債権をドライに処理することなく長年にわたって抱えてきたという事実は、一面では銀行株主の負担で問題企業に対し救済の手を差し伸べ、間接的には金融面から日本経済の内部の既得権益を支えるという役割を銀行が担ってきたとも解釈できる。これこそが、護送船団方式と呼ばれる銀行保護行政の下で銀行に期待された社会的役割であり、その意味で銀行の多くは社会から要請された機能を十分果たしてきたともいえる。しかしながら、そうしたやり方自体、銀行が厳しく規制されていた時代においてのみ通用するものであり、金融の自由化時代にそぐわないのは明らかである。その意味で、金融の自由化が大きく進んできたにもかかわらず、旧来の発想に基づき対応してきたことが不良債権問題を複雑化、深刻化させたということができる。

日本版ビッグバンにより許されなくなった問題の先送り

 こうした旧制度の限界を見直し、日本の金融の仕組みを金融の自由化、グローバル化時代にふさわしいものへと改編しようというのが日本版ビッグバンであり、不良債権問題の解決に際しては、こうした中長期的な課題の達成にも十分配慮する必要がある。日本版ビッグバンが理念とするフリー、フェア、グローバルという視点で市場原理の支配する金融取引の達成を追求していけばいくほど、旧来の関係者間での利害調整により問題の解決を図るというやり方は遂行困難となる。自己責任、自己統治を原則とする経済社会においては、不透明かつ市場原理に反する手法は放棄されなければならない。そのため、銀行としても問題企業を長い目でみて支援するという従来の行動パターンがとれなくなりつつある一方、行政当局に対しては市場原理に反しない、透明性の高い方策の実施が求められる。

 日本の金融を真にグローバルなものとするということは結局、銀行、借入企業の双方とも従来の思考パターンを放棄するという意識変革が求められていることを意味している。日本では、これまでの間、メインバンク関係に代表される銀行と企業とのウェットで運命共同体的な取引関係が日本的経営のひとつとして喧伝されてきた。しかし、現在、日本の金融に求められているのは、自己責任の原則に基づきそうした発想そのもののを捨て去り、銀行と企業との関係を一歩距離をおいたアームズレングス(arm's lengths)の関係にまで引き戻すことである。ビッグバンが本格化するなかで現在、政府、銀行、企業に対しては、果たしてどこまでこのような覚悟ができあがっているか否かが問われているのである。

 残念ながら、日本政府や銀行においては、株式の評価方法をめぐる議論から判断する限り、現状、そういった覚悟はまだ出来上がっていないように窺われる。本年3月、政府は貸し渋り解消を目的とした緊急対策として銀行による株式の評価方法を従来の低価法の強制から低価法と原価法との選択制に変更し、これを受け、多くの銀行が株式の評価方法を原価法に変更した。株価下落が銀行収益ひいては自己資本比率に及ぼす悪影響を避けるためである。そしてまた、早期健全化措置においても株式の評価方法に関しては低価法と原価法との選択制となる公算が強いとされている。株式の評価方法を原価法とした場合、時価と簿価との差額はすべて含み損益となり、株価下落の銀行収益に対する影響は中立化される。このうち時価が簿価を上回っている、つまり含み益となっている場合には、原価法が選択されたとしてもとくに大きな問題は生じない。しかし現在のように、銀行保有株式の時価が簿価を下回り含み損となっている時には、きわめて深刻な会計上の疑義が生じる。

 BIS基準の自己資本比率規制においては、有価証券の含み益のみが補完的自己資本(tier 2資本)の項目に算入されるため、原価法適用行の株式含み損は表面上自己資本比率に何ら影響を及ぼさない。しかし、仮に低価法が採用されていた場合、含み損については株式償却負担が生じ、その分経常利益が減益となる。したがって、当期利益のみならず、自己資本比率も原価法適用ケースと比較して縮小あるいは低下することになる。とくに自己資本の補完的項目が基本的項目(tier 1資本)を上回っている時には、基本的項目の減少とともに補完的項目の算入限度も自動的に縮小するため、含み損の2倍だけ自己資本比率は低下する。このことからも明らかなように、株式の評価に原価法の適用を容認するということは、銀行監督当局が表面を取り繕う会計手法の採用を認めることに等しく、日本版ビッグバンの精神に反する行為といわざるを得ない。海外の投資家などは、日本の銀行における自己資本比率の大小を判断するに際しては、株式の含み損を調整したベースを基準としているが、これは正当な評価手法ということができる。

 わが国においても、国際的な会計基準統一化の動きを踏まえ1999年3月期決算以降、連結会計制度の強化や時価会計の段階的導入が図られるとともに、経営財務内容のディスクロージャーもそうした基準で行われることが決定している。それゆえ、日本の銀行に対しては、内外投資家からのディスクロージャーが不十分で経営財務内容の透明性が低いとの批判に応えるためにも、こうした動きを先取りするかたちで国際的な会計基準に基づく財務諸表を率先して公表することが求められる。不良債権処理を先送りできる余地は会計制度の面から徐々に縮小し、2001年3月期以降は時価会計に基づくディスクロージャーが義務づけられているという事実にも留意する必要がある。

 いずれにしても、現下の不良債権問題の抜本的な解決を図るためには銀行責任論のみに終始することなく、問題の本質がどこにあるかを直視しつつ、国民経済的な立場から冷静かつ客観的に分析・判断することが必要と思われる。

貸し渋りを解消するには公的資金の注入が不可欠

 こうした論点を明らかにするためにも、いわゆる貸し渋り論議を批判的に検討することにしよう。貸し渋りに関する明確な定義はないが、一般には、次に掲げる2つの形態が考えうる。すなわち、第1の形態は、リスク度から判断して与信過剰あるいは割安な貸出金利が適用されていた借り手企業に対し、貸出金利の引き上げなどを銀行が要請し、企業がそれに応じない場合には資金を引き揚げたり、新規の貸出に応じないという、いわば融資条件の「正常化」に起因するものである。わが国の会社総数は300万社にのぼるが、そのうち3分の2は経常赤字、つまり本業の収益で借入金の利息を支払いえない状態にあるとされることが多い。銀行に対しては一般に、資産内容の健全性維持の観点から返済余力が疑問視される赤字企業への融資に関しては慎重に取り扱うことが求められる。それゆえ、わが国の金融機関の場合、赤字企業からの借入要請に対してはこれまでの間、比較的寛容に対処してきたが、そうした融資姿勢を見直し、融資条件を市場実勢に近づけることが求められているということができる。第2の形態は、銀行が自己都合により借入企業から一方的に資金を回収する、もしくは新規の貸出に一切応じないという、与信機能そのものの収縮である。残念ながら、マスコミ等においては、借り手企業と銀行との間での条件交渉の実態を詳細に吟味することなく、両者が峻別されないまま貸し渋り論議が高まっているように窺われる。

 政府では本年8月末、信用保証協会による保証枠の増大を中心に40兆円を超える規模の貸し渋り対策を閣議決定したが、中小企業からはその効果に対し疑問の声が寄せられている。信用保証請求手続きが面倒である一方、現在の銀行の融資姿勢を前提とすると、その結果は既存融資が保証付き融資に振り代わるとともに保証料分だけコストが増大するにとどまり、新規融資の拡大には必ずしもつながらないと考えられるからである。このほか、信用保証枠の拡大は銀行を一方的に利するだけで、新規融資の実行を担保するメカニズムを欠いているため、積極的に利用しようという気持ちになれないという声も聞かれる。

 したがって、貸し渋りに関しては、それぞれの形態に応じたしかるべき措置を考案する必要がある。たとえば、第2形態の貸し渋りの場合、不良債権処理とともに自己資本が大きく毀損された結果、自己資本比率維持のためには貸出資産自体を削減しなければならないという銀行自身の内部的な必要性に駆られたものである。このため、第2形態の貸し渋りについては自己資本の強化が対策として求められる。しかしながら、第1形態の場合、貸し渋りは銀行主導による企業との取引関係のリストラクチャリングに根差したものであるため、自己資本の増強だけでは問題の解決にはつながらない。先にも述べたとおり、日本の貸出市場は、これまでの間、護送船団方式と称される手厚い銀行保護政策の下でメインバンク関係と呼ばれる銀行と企業との運命共同体的な取引関係が市場原理に優先され、借り手の信用リスクに応じた貸出金利が適用されることはそう多くはなかった。第1形態の貸し渋りは、日本版ビッグバンをはじめとする金融グローバル化の流れのなかで自己責任原則の徹底が求められるようになったのを契機として、そうした取引関係の是正を図ろうとするものであるだけに、借入企業に関しては意識の変革が必要とされる。換言すると、借り手企業においては、自らに対する市場での信用度評価を率直に受け入れ、リスク度に応じた貸出金利の変更や貸出条件の見直しを受諾するのが一番の解決策であると考えられる。

 昨年11月における金融システム不安の高まり以降、銀行の貸し渋りが問題とされることが多くなっているが、本年3月末までの間は、第1形態の融資条件の変更を主たる目的とした条件改定交渉が大多数を占め、大手銀行の多くは借り手のリスク度に対応した貸出金利の引き上げや与信限度額の見直しを行っていたと考えられる。しかし、4月以降は第2形態の貸し渋りが漸次増大し、今日においては銀行の営業戦略は与信の拡大はとりあえず見合わせ、資金の回収に重点をシフトしたように窺われる。いうまでもなく、この戦略転換は、基本的には不良債権処理により自己資本が大きく毀損されたことを背景とするものではあるが、そのほか、(1)個人預金の郵便貯金シフト、(2)外貨資金の調達手段としての円投の増大に伴い円資金繰りそのものが逼迫化してきたという事情もかなりの程度寄与していることを忘れてはならない。

 今後、不良債権処理がさらに進捗すると、銀行の自己資本不足を媒介としてその信用仲介機能が一段と低下し、第2形態の貸し渋りが全国の金融機関に波及するおそれがある。仮にそうした事態を放置しておくと、資金供給面から日本経済の活力が削がれ、将来の停滞を決定づけることになりかねない。つまり、不良債権処理の進捗とともに銀行の自己資本は大きく毀損され、銀行が過少資本あるいは自己資本不足の状態に陥ると、国内金融市場における信用が収縮し、それがまた景気を悪化させるというデフレ・スパイラル的な悪循環が発生し、国民生活に重大な影響が及ぶことが強く懸念される。これはきわめて憂慮すべき事態である。そして、そうした事態の発生を未然に防止すると同時に反転させるためにも、自己資本の大幅増強を目的として、公的資金を用いて金融機関に対する大規模かつ大胆な資本注入を早期に実施することが喫緊の課題となっていると結論づけられよう。

ハードランディング・シナリオは取り得ない選択肢

 アメリカ、北欧諸国など海外においては不良債権問題が速やかに解決され、その後、経済活動が活性化している事例が多数みられるなかで、抜本的な対策が何ら打ち出されない日本に対し国際的に不信の目が向けられている。それゆえ、不良債権問題の早期解決を目指して、貸出債権の不良化度合いに応じた引き当てガイドラインを設け、銀行に対してはこのガイドラインにしたがった不良債権の一挙償却を強制し、その結果債務超過となった銀行は閉鎖・清算するという、いわゆるハードランディング・シナリオが欧米のエコノミストを中心として提唱されたこともある。

 しかし、それで問題が解決するとは思われない。むしろ、事態をさらに悪化させ、場合によっては日本発の世界恐慌の引き金を引くことになりかねない。確かに不良債権の一挙償却を行えば、銀行資産の健全性は確保されるかもしれない。しかし、その結果、金融機関の多くが大幅な自己資本不足の状態に陥り、銀行組織が全体として供給している信用創出機構および決済システムが壊滅的な打撃を受け、企業からの資金需要や手形等の資金決済ニーズを満たせなくなる公算が強い。このことは昨年11月の北海道拓殖銀行の破綻以降、北海道経済が銀行の与信機能の低下を主因として一段の停滞を余儀なくされていることからも明らかである。その一方で、ハードランディング・シナリオの場合、借り手企業の手許にしこっている不稼動資産問題は何ら解決されないまま、温存される。このように考えると、不良債権の一挙償却は問題の抜本的な解決にはつながりえないと否定的な評価を下さざるをえない。

 いうまでもなく、日本経済あっての不良債権処理である。それゆえ、不良債権および問題銀行の処理に際しては、金融不安をいたずらに煽ったり、信用収縮の引き金となることは厳に避けなければならない。欧米主要国の場合、最終的には比較的スムーズに不良債権問題の処理が進んだが、日本の場合には今なおこの問題の処理に呻吟しているということ自体、銀行および政府当局による問題先送り姿勢以外の重要な要因がこれまでの間、見落とされていたことを示唆しているとも考えられる。すなわち、欧米諸国と比較すると、わが国の場合、企業の資金調達に占める銀行貸出のウェイトあるいはGDPに対する銀行融資のウェイトが非常に高い。実際、わが国のGDPに対する銀行融資のウェイトは120%と欧米主要国(30〜60%)の2〜3倍の水準にある。加えて、わが国の場合、メインバンク関係と称される独特の金融取引慣行の下で借り手企業の多くは多数の銀行から融資を受けているため、銀行の間には網の目あるいはたすき掛けと呼ばれる銀行信用の相互依存関係が成立している。このため、銀行が破綻したときの影響は甚大であるといわざるを得ない。ちなみに、本年9月に会社更正法の適用を申請した日本リースの場合、大手銀行のほか、地方銀行、生命保険会社や農林系統金融機関など合計50社余りの金融機関から資金を借り入れていたため、その破綻は日本の金融秩序に少なからぬ影響を及ぼしたということができる。

 また、アメリカや北欧諸国で破綻した商業銀行やS&Lは比較的経営規模の小さな金融機関である。日本の大手19行のように国際的な規模で活躍している大銀行が比較的まとまった単位で一斉に不良債権問題に直面したというのは、少なくとも第2次大戦後初めての経験であり、その国際的な波及を考えれば慎重に対処せざるをえない。こういった事情も当局による問題解決の先送りを促したとも考えられる。

 その一方で、経営危機に瀕した銀行の国有化あるいは国営化、公的資金による銀行への資本注入が問題の本質的な解決につながるとは考え難い。確かにスェーデンなど北欧諸国は、経営危機に瀕した銀行の国有化を媒介として銀行危機を乗り切った。その場合、見落としてはならないのは、北欧諸国においては不動産価格の急落とともに借り手企業の破綻が急増し、銀行の資産内容も自動的に悪化を余儀なくされ、銀行が経営危機に直面したことが誰の目からみても明らかであったという事実である。しかし、わが国の場合、不稼動不動産を抱えた借り手企業の多くは銀行の支援を得て今もなお存続している一方で、一般の人々からは銀行の第II分類資産の増大だけが観察され、金融不安の根源がどこに起因するのか判然としない事態におかれている。そうであるがゆえに、不良債権問題は「銀行の不始末を原因とするものである」、「公的資金の投入はもってのほか」という感情的反発を払拭することが困難となっている。

不良債権問題の解決には景気の回復が不可欠

 銀行の不良債権問題の処理に際しては、銀行のみならず、借り手企業のリストラクチャリングにも同時並行的に取り組む必要があるほか、その大前提として景気の回復が不可欠となる。アメリカの銀行も、1980年代後半から90年代前半にかけて、3つのL(LDC:途上国向け融資、LBO融資、LAND:不動産関連融資)に起因する不良債権問題に苦しんだ。この時、アメリカの大手銀行は、不良債権処理を図るためには収益基盤の拡充が不可欠という認識に基づき経営戦略の抜本的な見直し、厳しいリストラの実施を経て強靱な財務体質をつくり上げることで危機を乗り切った。しかし、そのような経営戦略の遂行が可能であったのは、FRBが短期金利の引き下げを媒介とした長短金利の順鞘維持により銀行に対し収益獲得機会を提供し続けたという政策的配慮や、そうした金融緩和措置の効果浸透もあってアメリカ経済自体が回復基調に転じるなど、環境変化に恵まれたという側面も否定できない。

 いずれにしても、金融不安の解消と景気回復とは相互補完の関係にある。日本経済の再生を期すためには、不良債権問題に対し早期決着の目途をつけると同時に、従来にない大胆な発想に基づき与信拡大メカニズムをつくりあげるとともに内需振興策を早急に講じる必要がある。そのためにも、従来から議論されている経済政策上の各種テーマについて、新しい観点からの位置づけと実行手法の確立が求められているといえよう。