3. いわゆる貸し渋りをめぐって
1. 貸し渋りは一時的な現象と捉えられるか
公的資金による銀行株買い上げが主張される背景のひとつとして、いわゆる貸し渋りの発生が挙げられる。これは、今日の日本経済を襲っているのは不良債権問題に端を発する金融デフレであり、現象的には中小企業に対する金融の閉塞、すなわち貸し渋りの発生として顕現するという現状認識を基礎とする。日本銀行が公表した12月短観では、大企業、中小企業とも金融機関の貸出態度が厳しくなったと回答した企業数がかつてないスピードで増加している。とくに中小企業においては1981年以来16年振りに「厳しい」と答えた企業数が「楽である」とした企業数を上回った。また、新聞や雑誌においても、中小企業に対する貸し渋りの発生を示唆する事例が多数紹介されている。その一方で、日本銀行が公表した預貸金速報は、11月中の金融機関の貸出は前月との比較において減少幅が幾分改善したことを示している。
借入企業サイドから捉えた金融機関の融資態度は、一面の真理を示す一方で、情緒的な側面を伴っている点は否定しえない。貸し渋りに関しわれわれとしては、景気の一段の後退を背景として企業収益見込みが悪化するなかで金融機関の融資態度が従来以上に慎重化し、それらが早期是正措置を見越した融資態度の厳格化や金融機関の赤字決算を契機とした資産圧縮の動きと重なり合って顕現したものと判断している。金融機関の融資態度慎重化は、企業業績の後退を契機として景気後退局面にしばしばみられる現象であることだけは確認しておくべきであろう。
2. 早期是正措置の導入延期は許容されない
また、一部の論者は、貸し渋り解消のため、金融機関の融資慎重化の背景にある1998年4月以降の早期是正措置の導入を少なくとも1年は延期すべきと主張されている。われわれは延期に反対である。早期是正措置の導入に伴い銀行の貸出窓口において、業績が芳しくない中小企業に対する与信判断が混乱している可能性は多分にありうる。そうした混乱は、新しい施策の導入に際し発生する摩擦的、過渡的なものであり、避けて通ることはできない。早期是正措置導入に伴う混乱は、金融機関監督当局および金融機関本部からの現場に対する趣旨の徹底により十分解消できるものと思われる。したがって、今一度早期是正措置の意味と金融機関の貸出政策との関係が明確になるよう十分な整理が必要である。
早期是正措置の自己資本比率規制上の重要性に着目すると、その延期は国際的な観点からも許容されない。早期是正措置は、不良債権の早期認識・早期償却に基づき自己資本が大きく傷んだ金融機関については、行政当局による恣意的な判断により問題の解決を先送りすることなく、金融システムの安定維持のため速やかに市場から退出させることを意味している。この措置は金融における自己規律の確立および行政当局による金融機関経営への事前的な関与の排除を達成するうえで不可欠なものであり、今世紀中にビッグバン後の世界の基礎固めを行うためには、むしろ早期導入および発動基準の厳格化が求められる。こうした観点からすると、早期是正措置の導入延期は、事実上の自己資本比率規制の揺らぎにつながり、金融機関経営者の自己規律意識を後退させるため、是非とも避ける必要がある。加えて、万が一延期されるような事態になると、日本政府の不良債権問題に対する取り組み姿勢が内外の金融市場において疑われ、金融機関株価の下落、ユーロ市場におけるジャパン・プレミアムの拡大に繋がるという点にも留意する必要があろう。
3. 赤字決算も一時的な要因として貸し渋りに寄与
11月中下旬にかけて都市銀行の1997年度中間決算が発表された。この決算において重要なのは、都市銀行9行中8行が通年決算においては不良債権の大量償却に伴い赤字に転落することを明言したという点である。実際、都銀9行の1997年度決算では合計2兆6400億円という空前の赤字が予定されているが、そのうち7割弱の1兆7900億円が下期分の赤字に相当する。不良債権処理のためには赤字決算は不可避であり、こうした都市銀行による不良債権問題解決に向けた努力は積極的に評価できる。
その一方で、赤字決算は、資産内容の健全性維持のために設けられた自己資本比率規制を媒介として、赤字銀行に対し資産残高の圧縮を求める。これが赤字決算のもうひとつの意味である。都市銀行のほとんどが明年3月期の決算において巨額の赤字計上を宣言したということは、自己資本比率が8%の近傍にあることを考えれば、赤字分が自己資本を食いつぶすため、その12.5倍に相当する大規模な資産圧縮が不可避であることを意味している。そして、これが大手金融機関における融資態度慎重化の重要な要因を構成している。ちなみに都市銀行各行が発表した決算見通しに基づき、有価証券の含み益はゼロであると想定して今下期における資産圧縮規模を推計すると、オン・オフ資産合計のリスク・アセット・ベースで34兆円にも達する。
もっとも、この赤字決算に起因する資産圧縮効果は1998年3月末で消滅する。加えて、1998年4月以降は前年度の赤字が繰り越され、税引前利益が前年度赤字分に達するまでは課税が免除されるため、自己資本および金融機関による融資余力は急速な勢いで改善することになる。いずれにしても、赤字決算による貸し渋りは一時的な現象にとどまるため、政府系金融機関による中小企業向け緊急融資の実行で十分対処可能と思われる。
4. BIS基準の自己資本比率と株価との関係についての誤解
以上の議論で明らかなように、銀行による資産圧縮の動きは、基本的には赤字決算に起因する自己資本の減少を背景とする。マスコミ等では、株価の下落に伴う含み益の減少が自己資本不足を媒介として貸し渋りを誘発するといった類の議論が散見されるが、これは必ずしも正しくない。現在における都市銀行等の自己資本の構成割合を踏まえて考えると、むしろ誤りであるといっても差し支えない。
BIS基準の自己資本比率の場合、資本金・準備金等からなる基本的な自己資本(tier 1 capital)と貸倒引当金・劣後債務・有価証券の含み益(ただし45%)からなる補完的な自己資本(tier 2 capital)の2つが自己資本を構成する。そして、補完的な自己資本に対しては基本的な自己資本と同額までという算入制限が課されている。補完的な自己資本の構成内訳は国によって異なるが、概ね劣後債務が大部分を占める。日本の場合、当初は有価証券の含み益が補完的な自己資本のほとんどを占めていたが、現在、その構成割合は大きく減少し、欧米諸国並みに劣後債務が75%程度を占めるに至っている。
実際、1997年9月末時点での都市銀行9行の補完的な自己資本の構成内訳をみると、貸倒引当金が7.4%、劣後債務75.6%、有価証券の含み益は17.0%となっている。加えて、1998年3月期決算の場合、先に述べたように巨額の赤字決算が予定されているため、有価証券の含み益を補完的な自己資本に算入しうる余地はほとんどなくなってしまう。ちなみに、去る11月に公表された1997年度決算見通しを基準として推計すると、有価証券含み益の自己資本への算入可能額は都市銀行9行合計で8000億円程度、前年度の算入額(2.4兆円)の3分の1にとどまっている。また、都市銀行9行中3行において基本的な自己資本の減少を主因として補完的な自己資本の一部が自己資本に算入できない、いわゆる「ブタ積み」の事態に直面することが見込まれる。
しかし、株価動向が銀行の自己資本に何ら影響を与えないといっているのではない。むしろ、通常想定されているのとは異なった経路を通じてより直接的に自己資本の減少をもたらすと考えられるのだ。わが国の場合、金融機関による期末株式の評価に関しては低価法の適用が強制されている。このため、前期末との比較で価格が下がった株式については期末時価への簿価下げが必要となり、その分だけ株式償却というかたちで損失が発生する。銀行が持ち合い株として保有している株の価格が大きく低下すると、その分だけ利益=自己資本が減少し、一段の資産圧縮が求められる。「ブタ積み」が発生している銀行においては補完的自己資本の算入余地がさらに低下し、株式償却額の2倍に相当する自己資本の減少が生じる。そのため、これにさらに12.5を乗じた資産の圧縮が必要となる。いずれにしても、株式の保有は現在、銀行の収益および自己資本水準に対し撹乱要因として作用している点は否定しえない。金融機関経営者にあっては、こうした事実を直視のうえ株式保有のあり方を見直すことが求められている。