4. 投資信託を取り巻く環境の整備に関する政策提言
以上のとおり、わが国の場合、1200兆円にのぼる個人金融資産は預貯金を主体に運用されているが、そうした事実から単純に日本人は国民性としてリスク負担を回避していると解釈すること自体、適切であるとは必ずしもいえない。むしろ、少々リスクをとればそれなりの高いリターンが得られる金融商品が誰もが信頼できるかたちで幅広く提供されることを保証する制度的枠組みが十分準備されていなかったためと捉えるほうが、より現実に近いと思われる。日本版ビッグバンは日本の金融市場をフリー、フェアでグローバルな市場へと変貌させることを狙いとするが、その究極的な目的は日本の金融市場を自己責任の原則に基づく自己規律が支配する透明性の高い市場とすることに加え、市場を通じた企業経営に対する監視・規律づけ機能の確立にある。そうした機能の確立はまた、21世紀日本の社会を豊かで活力溢れる社会へと導くうえでも、避けて通ることはできない。
これらの目標を実現するためには、21世紀の日本において個人金融資産の中核商品となることが期待される投資信託を、誰もが信頼できるかたちで幅広く提供されるよう制度的枠組みを整備・拡充していくことが強く求められる。それゆえ、われわれとしては、次に掲げる施策の実行を通じて、投資信託を取り巻く運用環境の一段の整備を提案したい。
- 金融商品にかかわる縦割り型行政の廃止、規制監督体制の一元化
- 投資信託にかかわる説明責任義務、プルーデントマンルールの確立
- 投資信託に内在するリスク情報にかかわるディスクロージャーの整備
- 投資家教育の充実
- 投資家にやさしい税制の確立
求められる金融サービス法の早期制定
この5項目に関する具体的提案については後で詳しく述べるが、そのうち2から5までの4項目にかかわる制度的枠組みを法制面から支える法律を通常、金融サービス法と呼ぶ。我々は、次の理由から金融サービス法の制定を通じた投資家保護政策の確立が求められていると考える。すなわち、規制の大胆な撤廃や緩和が進むと、透明かつ整合的なル−ルがないために投資家が結果として過大なリスクを負担せざるを得なくなる(制度的リスクとする)とか、新たに登場した金融商品に関する情報の不足や当該商品の受託者による不適切な行為によって投資家が不利益を被る(商品リスクとする)おそれが高まる。そうした事態に対処するためにも、金融商品横断的で私法的効果も含んだ明確なかたちで法令を整備すると同時に、投資家に対する情報提供義務や受託者の責任をあらかじめ定めたルールの制定が求められるのである。換言すると、我々は、投資家を制度的リスクおよび商品リスクから保護することを目的とした法律を金融サービス法と呼ぶことにしたい。
より詳細には、ここでいう制度リスクおよび商品リスクは概ね次のように分類できる。
(制度リスク:ルールがない、あるいは不十分であることから投資家が負担するリスク)
- ルールの不透明性:金融取引に適用される「実際のルール」は、政令、告示、省令などに基づき具体的に定められているが、一般投資家からみた場合、そういった取引ル−ルの多くはいつでも閲覧可能なかたちで開示されているとはいい難い。
- ルールの非網羅性:金融関連法のほとんどは個別業界に関する業法として構成されるという、縦割り型の法律体系となっており、すべての金融分野が網羅されているわけではない。そのため、法律の規制に服さない実質的な金融機関・金融商品が存在しうる。
- ルールの不整合性:同様の金融機能を有する商品であっても、それを組成・販売する業者が異なれば、法的取扱いが異なる可能性が高い。加えて、投資家保護の程度やあり方も業法により区々であるというように、各種ルール間の整合性に対する配慮が十分ではない。
- ルールの一面性:現行の業法は当局による金融機関監督法という色彩が強い一方で、当事者間の権利関係に関する規定はほとんど整備されていない。このため、私法的効果については、民法など一般法に頼らざるを得ない状況に置かれている。
(商品リスク:情報不足や受託者の不適切な行為により投資家が不利益を被るリスク)
- 販売時の情報提供:商品の仕組み、組成ビークルの性質、金融機関の信用度など、投資家が当該商品を購入するか否かを判断するうえで必要な情報の提供が行われないために、自己の目的と異なった金融商品を購入してしまうことがありうる。
- 受託者の不適切な行為:投資家は、多くの場合、商品購入後の資産運用などに関しては影響力を行使することができない。その結果、運用者などの受託者の不注意な行為や不誠実な行為によって被害を蒙るおそれがある
こうした指摘からも明らかなように、日本版ビッグバンを成功させるためには、新たな投資環境の下における透明性の高い取引ルールを明定しておくことが必須の条件となっている。ビッグバンは2001年4月からの保険市場の開放をもって完了する予定にある。それはまた、現在、信用秩序の維持を目的として緊急避難的に導入されている4つの保護措置が解除される時期とも一致している。21世紀日本の金融を名実ともに自由で透明性が高くて自己規律が支配する世界とするためにも、金融サービス法の早期制定が切に望まれる。それゆえ、政府に対しては、遅くとも本年末までに同法の要綱案を公表し、広く投資家や資産運用会社の意見を聴取のうえ法案策定作業を推進し、次期通常国会に法案を上程することを提案したい。
金融サービス法検討に際しての留意点
金融サービス法のあり方を検討するに際しては、(1)投資家の安全性・利便性向上、(2)事業者の収益性・予見可能性の確保、という相反する2つの要請のバランスに配慮することが求められる。というのも、前者が重要なのはいうまでもないが、それを極端に重視した法制とすると、金融機関に代表される供給業者の責任が過大となるとともに責任遂行に要するコストが上昇する結果、金融商品の価格が高騰し、投資家利益が損なわれることになりかねないからである。実際、このバランスが崩れると、説明責任が過大に課された特定のグル−プに属する投資家に対する事実上の販売制限が起こるとか、金融サービス法において供給業者に求められる義務の範囲・程度に関する目処が明確に示されない分だけ価格が上昇する、といったことが懸念される。加えて、長期的にみた場合、圧倒的多数の国民が属するリテール分野でのイノベーションが阻害され、金融技術革新により新たに生じる便益を一般投資家が享受しえなくなったり、日本の金融機関がグローバルな競争において遅れをとることを余儀なくされるという事態に陥る可能性も否定できない。
もう少し具体的な話をしよう。金融サービス法に基づき商品内容やリスクに関する説明責任を規定するとした場合、そうした規定を実務上どのように運営するのが適切かが問題となるのである。投資信託や保険販売などにおいては現在でも、商品内容やリスクに関する説明の実施、説明書類(約款)を受け取ったこと等の証拠として、投資家(契約者)に確認書面への印鑑の押捺を求める扱いになっている。常識的に考えると、この押捺印を根拠として金融機関は責任を免れるようにみえる。しかし、現実の裁判では、そうはなっていない。投資家は、客観的にみて十分な説明を受ける、受けないにかかわらず、契約手続きの一環としてそうした書類に押捺する事例が多数みられるからである。このため、裁判所においては、押捺した書類の有無のほか、担当者による説明記録、投資家が受け取ったパンフレットの書き込みなどを手掛かりとして、説明義務が本当に果たされたか否かの認定が行われているのである。
実際、現在紛争になっている事案をみても、さまざまな投資家がいる。これらの投資家は、大別すると、(1)自ら得た情報に基づき自ら投資判断を行った人、(2)「金儲け」に目が眩み、リスクや失敗の可能性を失念した人、(3)金融機関の言動をそのまま信頼した人、という3つのタイプに分けられる。また、商品を販売した金融機関も、(1)客観的に十分な説明を行った、(2)十分な説明を行わなかった(悪意はないがリスクに関する説明が十分でなかった、担当者自身よく理解していないため説明できなかった、わざとリスクに関する説明を怠った)、(3)積極的に嘘を言った、という3タイプに分けられる。いうまでもなく、積極的に金融機関が嘘を言った場合は詐欺、背任、横領などの刑事法制で対応すべき筋合いにあるため、そういった事例に関しては、金融サービス法の問題とは切り離して議論する必要がある。
投資家にとって手厚い説明責任のあり方としては、十分な商品・リスク情報を提供したうえで判断に必要とされる時間的余裕を十分与え、双方がその旨を確認する書面を取り交わし、これらの条件をすべて満たしたことの立証責任を金融機関側に負わせる、といった考え方が提案されている。この提案は、一般投資家からみた場合、きわめて魅力的なものである。しかし、実際の紛争などに登場する投資家は、上記の類型化でいうと(2)、(3)のような人々からなることが多いのである。そうしたなかで、事業者に一方的に厳重な説明責任を規定すれば、先に指摘したような弊害を招来しかねない。それゆえ、金融サービス法のあり方の検討に際しては、パーツ・パーツでの投資家保護を考え、それをモザイク的に取り纏めるのではなく、全体像を把握したうえでバランスを取っていくことが求められる。
以上の点を踏まえて、われわれの提案を具体的に述べることにしたい。
われわれの提案
(1)金融商品にかかわる縦割り型行政の廃止、規制監督体制の一元化
わが国の場合、現行の金融関連法のほとんどは個別業界に関する業法として構成される縦割り型の法律体系となっている一方で、同様の金融機能を有する商品であっても、それを組成・販売する業者が異なれば法令上の取り扱いが異なるほか、投資家保護の程度やあり方も業法に区々であるというように、各種ルール間の整合性に対する配慮が十分でない。その結果、すべての金融分野が法令により網羅されていないだけでなく、法律の規制に服さない実質的な金融機関・金融商品が存在しうる。それはまた、金融技術革新の進展とともに法令上の取り扱いがグレイな金融商品が誕生した場合、誰がどの法律に基づき監督するのかが問題となり、金融技術革新が生み出す新たな便益を一般投資家が享受できないおそれがあることを意味している。そういったこと自体、国民経済的な観点からみると、国家的な損失といわざるを得ない。
そういった事態の発生を未然に防止するためにも、商品横断的に当事者間の権利関係や個々の商品に関する取引ルールを統一的な観点から明確化すると同時に、すべての市場参加者に適用される一般的な取引ルールの明確化を目的として、金融サービス法の早期制定が求められる。加えて、効率的な行政という観点からも、金融サービス法の制定にあわせて現在各省庁に分散している規制監督体系の一元化についても実施することが求められる。
(2)投資信託にかかわる説明責任義務、受託者責任義務の確立
これまでの間、長年にわたって投資信託(主として株式投信)は、証券会社による株式の委託売買手数料稼ぎの手っ取り早い手段として利用されたこともあり、一般投資家の投資信託に対するイメージは概して良くない。こうした過去のマイナスイメージを払拭するとともに、投資信託を投資家が信頼できる資産運用手段とするためにも、投資信託にかかわる説明責任義務、受託者責任義務の早期確立が求められる。このうち、説明責任義務に関してはすでに指摘したとおりであり、(1)投資家の安全性・利便性向上、(2)事業者の収益性・予見可能性の確保、という相反する2つの要請のバランスにも配慮のうえ、21世紀という新しい時代環境の下での説明責任義務を具体的に定めることが求められる。 このほか、投資家からの投資信託に対する信頼感を回復するに際しては、受託者の資産運用にかかわる不適切な行為を明確なかたちであらかじめ禁止しておくことが求められる。投資家は、多くの場合、商品購入後の資産運用などに対し影響力を行使しえないため、運用者など受託者の不注意あるいは不誠実な行為によって被害を蒙るおそれを排除できないからである。アメリカでは、年金や投資信託の運用者に対し、プル−デント・インベスタ−・ル−ルを媒介として、受託者責任が明確に課されているが、残念ながら、わが国投資信託の場合、そういったところまで環境の整備は進んでいない。それゆえ、わが国の投資信託に対しても、金融サービス法の制定などを通じて、資産の運用担当者に合理的かつ慎重な投資を義務づける受託者責任の明確化を早急に図ることが求められる。
(3)投資信託に内在するリスク情報にかかわるディスクロージャーの整備
投資家が株式や社債といった有価証券を購入するに際しては、まずパンフレットや目論見書と呼ばれる説明書類に目を通すことになる。しかし、多くの個人投資家にとっては、そういった書類を読みこなし、個々の有価証券の収益性・安全性を判断のうえ自らの資金運用ニーズに適した商品を選択するのは至難の業といわざるを得ない。大多数の人は、どの商品を選択すればよいのか迷ってしまう。また、もっぱら預貯金で資産を運用していた個人投資家にいきなり、株式や社債への投資を求めるのも現実的ではない。まずはプロフェッショナルが銘柄を選択し、多くの銘柄に分散投資することで信用リスクの軽減を図る投資信託への投資から促進する必要がある。しかし、この場合でも、有価証券投資に際し求められるのと同様の選択問題が発生する。
それゆえ、個人投資家による投資信託への投資を活発化させるためには、数多くの投信商品のなかから自らのニ−ズにあったものを選択する際に必要となる情報が理解しやすいかたちで安価かつタイムリ−に入手できる環境が整備されているか否かが重要となる。1998年12月に施行された金融システム改革関連法案により証取法上のディスクロ−ジャ−規制が投資信託にも及び、投資信託の投資家に対しても証取法に規定された目論見書の交付が義務づけられた。このこと自体、投資信託のディスクロ−ジャ−体制が法的に明確になったという点において前向きに評価できる。しかし、問題がないわけではない。例えば過去3年間のトラックレコードや金利が1%上昇した場合の損失見込みなど、リスクに関する詳細な情報が投資家にとって理解しやすいかたちで、かつわかりやすく説明されているかという基準に照らすと、残念ながら、なお不十分であるといわざるをえない。
この点、投資信託に関する情報開示の先進国であるアメリカを見習う必要があると思われる。すなわち、アメリカの証券監督当局であるSECは昨年3月、重要な情報をぼやかすような特殊法律用語等を目論見書から一掃のうえ、平易な日常用語で投資家が真に必要とする情報が正しく提供されることを目的としてディスクロ−ジャ−規則を改定したのである。このような動きを参考にしつつ日本においても、政府当局と投資信託業界とが一致協力のうえ、投資家の立場に立った平易でわかりやすい目論見書の作成・公表を目指すことを提案したい。
(4)投資家教育の充実
日本の個人投資家は一般に、リスクアセットに対する投資経験に乏しいこともあって、リスクを負って収益の拡大を目指すというごく当たり前の資金運用感覚を欠いているといっても過言ではない。しかし、経済の成熟化、高齢化の進行とともに国内における有利な投資機会が減少する見込にあるなか、リスクを負うことなく高収益を得ること自体、もはや不可能となっている。また、雇用が定年まで保証され、年功序列の賃金体系の下で安定的な賃金上昇や退職後の退職金・年金給付が期待できた時代は去ったため、個々人自らの意思で生涯におけるマネ−プランを真剣に考える必要性が急速な勢いで高まっている。また、確定拠出型企業年金の導入が実現すれば、企業年金加入者は自らの責任で金融資産運用の選択を迫られる。
こうした環境変化を受け、投資家に対しては、資金運用の重要性を認識のうえ自らのライフプランに基づいた資産運用のあり方を考え、自らの責任で金融商品を選択することが求められるようになっている。もちろん、投信会社等も投資家向けセミナ−を積極的に開催しているが、そうした場合、営業面への配慮から一般的な資産運用に関する説明よりもむしろ、販売希望の金融商品の説明に重点が置かれることが多い。それゆえ、貯蓄・投資活動に関する一般投資家向け啓蒙活動の重要性を考慮すると、公的機関も積極的に関与する必要があると判断される。実際、アメリカにおいては、「アメリカ人に対し、投資に関する情報入手、理解の促進を図る」ことを目指して投資家教育連盟(The Alliance for Investor Education)が組織され、証券業協会、証券取引所、フィナンシャル・プランナ−協会を始め業界団体の多くが加盟しているほか、FRB、SECといった政府機関もアドバイザ−となって大々的に投資家教育キャンペ−ンを推進している。
日本では現在、日本証券業協会等が投資家教育活動を行っているが、個別活動の域を出てない。今や、投資についての国民的な意識改革を推し進めるべき時期が到来しており、金融サ−ビスに携わる業界団体が協力して、その推進母体設立に当たることが求められている。日本銀行においても、貯蓄推進運動の母体として、貯蓄広報中央委員会が活動を行っている。金融ビッグバンの時代に相応しい、国民一般に向けた啓蒙教育活動の推進体制の充実を図るためにも、これらを統合した組織を作ることが重要と判断される。
また、今後は、初中等教育課程でも金銭教育、投資家教育をカリキュラムのなかに取り入れていくことが求められる。資金運用・借入などは社会生活を営むうえで必要な知識であり、経済活動の血流にあたる金融の基礎的なメカニズムをわかり易く教えることは意義あることである。平成14年の新学習指導要領においては、社会の変化に主体的に対応できる能力の育成を目指して「総合的学習」の時間が盛り込まれることになっている。リスクの性質を的確に判断のうえ収益の拡大を目指すという資金運用の考え方はすべてのビジネスに通ずるものであるため、この機会を捉えて投資家教育をカリキュラムに組み入れることを提案したい。実際、アメリカでは、高校生に対し株式投資を学校でわかり易く教育している。そうした教育のなかで金融に興味を持った学生が、大学でファイナンスに関する高等教育を受け、金融エンジニアリングの中核を担う人材に育っているという点にも留意する必要がある。
(5)投資家にやさしい税制の確立
投資家はキャピタルゲインの獲得を目指して資本市場に参加するという事実からも明らかなように、キャピタルゲインはリスクを負担した投資家に対する成功報酬にほかならない。しかし、わが国の個人所得税制においては、そういった観点に対する考慮が不足している。先んじてリスクをとろうとする投資家の登場を促し、資本市場の健全な発達を促すためにも、有価証券の譲渡益課税に関しては、思い切った軽減措置の実施が求められる。
また、配当に関しても、同じくリスクをとった者に対する報酬と解釈できるため、現行の二重課税的な配当税制を改めることを提案したい。このほか、不動産の登録免許税など金融商品の取引コストを高める税制についても抜本的な見直しを行う必要がある。