2. 現在の資産運用環境をどう評価するか

日本の家計はそんなにリスク回避的なのか

 第1図及び 第2図は、日本とアメリカの金融構造を比較したものである。この図からも明らかなように、日本はアメリカとは対照的に、(1)個人金融資産の60%は預貯金で運用されている、(2)企業による資金調達の過半は銀行借入からなる、というように銀行部門が 金融上とくに重要な役割を担っている。それゆえ、わが国の金融システムは銀行中心型と呼ばれる。この傾向は、戦後ほぼ一貫してみられる。そしてまた、預貯金に保険・年金を加えると、1200兆円にのぼる個人貯蓄の8割は元本保証が付された金融商品で運用されている。こうした個人部門の預貯金に偏した資産運用状況を根拠として、「日本人は国民性として安全志向が強く、リスクをとりたがらない」とされることが多い。
 本当にそうなのだろうか。昨年春から夏にかけての外貨建て投資信託の爆発的な売れ行きや本年4月以降みられるBBB格という信用リスクの高い企業による個人投資家向け社債の発行増大など、そうした見方に疑問を投げかける事例は多数存在する。また、これまでの間、金融商品といえば、実質的には預貯金と株式しか存在しなかった。一歩前に出て少々リスクを負担すればそれなりの高いリターンが得られる金融資産が誰もが信頼できるかたちで幅広く提供されることがなかったため、投資家からみた場合、低利ではあるが安全な預貯金と価格変動リスクの高い株式投資という二者択一の選択肢しか準備されていなかったのである。それゆえ、大半の投資家は預貯金を選択せざるをえない環境に置かれており、その結果として預貯金主体の資産運用が現出したとも考えられる。

制度的要因や運用機関の行動が貯蓄の預貯金集中を促す

 しかし、話はここで終わらない。税制、業者中心の証券法制という預貯金を取り巻く制度的枠組みのあり方や、資産運用会社の運用姿勢に対する疑念の高まりなども、個人による預貯金の選択を促したと判断される。
 最初は税制である。わが国の場合、個人が金融資産運用で獲得した利子所得、譲渡所得、一時所得および雑所得に関しては1988年4月以降、原則として一律20%(国税15%、地方税5%)の源泉分離課税が適用されている。株式の譲渡益に関しても分離課税が適用されているが、源泉の場合は売却額の1%、申告の場合には譲渡益の26%(国税20%、地方税6%)を納付しなければならない。預貯金の利子課税と株式の譲渡益課税を比較すると、表面的にはバランスがとれているように映る。しかし、子細に検討すると、源泉の場合には譲渡損失が費用計上できないとか、申告を選択のうえ譲渡損失を費用計上したとしても、その時の税率は預貯金よりも高率となっているというように、わが国の金融税制は、個人投資家に対し余裕資金の預貯金での運用を税制面から促していることがわかる。第2には、業者中心の縦割り型法制が挙げられる。例えば、証券投資信託法の場合、業法という性格上やむを得ない側面もあるが、投資家利益の保護に関しては証券会社の行為規制を通じて投資家保護を図るという証券取引法の伝統的な考え方が引き続き適用される一方で、投資家を直接保護することを意図した規定はきわめて少ない。そうしたなかで投資家には自己責任原則が課されてきたため、投資信託に対する信頼を幅広い投資家から勝ち取るまでには至っていない。実際、証券投資信託法による行為規制にもかかわらず、株式投資信託の場合、親証券会社が手っ取り早い委託売買手数料収入の獲得手段として利用する傾向が長年にわたって一般的となっていた。その結果、投資信託の運用パフォーマンスはいずれの尺度を用いても市場の平均リターンを著しく下回るなど、運用資産としての投資信託の魅力はほとんどなかったといっても過言ではない。加えて、わが国の場合、資産運用に関しても縦割り行政の弊害が影響し、第1表のとおり、預貯金、証券投資、商品ファンド、不動産関連商品ごとに監督官庁および規制形態が今なお異なるなど、行政のあり方そのものが投資家利益の向上という観点を持ち合わせていない。その結果、欧米市場においては、投資家ニーズに合わせて各種の金融取引を複合的に組み合わせた商品の提供が可能となっているのに対し、わが国の場合、例えば預貯金と不動産関連商品を組み合わせた複合商品の開発・提供は事実上困難な状況に置かれている。

第1表 金融商品及び取り扱い業者に対する指導・監督権限

  監督当局 根拠法令
預貯金 金融再生委員会、郵政省 銀行法、郵便貯金法など
有価証券 金融再生委員会 証券取引法
ファンド商品 有価証券 金融再生委員会 証券投資信託法
商品 金融再生委員会、農林水産省、通商産業省 商品ファンド法
不動産 金融再生委員会、建設省 不動産特定共同事業法
リース・
クレジット債券
金融再生委員会、通商産業省 特債法

 第3は、資産運用会社の運用姿勢に対する根強い疑念である。先に掲げた株式投資信託の事例に加え、債券投資信託に関しても同様の事実が観察される。例えば、公社債投資信託や中期国債ファンドの場合、預金類似商品という性格が強いこともあって、募集に際しては予想配当率が提示されている。当然、この配当率はあくまでも予想であって、実際の配当率は市場動向に応じて変動する筋合いにある。しかし、これまでほとんどの場合、予想配当率が実際の配当率となっていた。一見すると、これは投資家にとって好ましい事象のようにみえるが、実態はその逆である。本来であればもっと高い率での配当が可能であったにもかかわらず、非上場債を中心とした運用玉の入れ替え取引を媒介として配当率が予想配当率となるよう調整されていたのである。こうした調整売買は不透明かつ投資家利益に反するものであり、その是正が求められていたが、本年7月以降、非上場債に対する時価評価の適用により事実上禁止されることとなった。
 このような点を考慮に入れると、「日本人は国民性として安全志向が強く、リスクをとりたがらない」という仮説は、現実妥当性を欠くといわざるをえない。預貯金が個人金融資産の大半を占めるようになったのは、むしろ預貯金を取り巻く制度的枠組みや資産運用会社の運用姿勢などが相まって個人金融資産の預貯金集中を促したことを背景とすると判断される。それゆえ、日本版ビッグバンの進展とともに、信頼に値する中位リスクの金融商品が豊富に提供されるようになると、日本人の「預貯金好き」は比較的容易に解きほぐされるのではないかと推察される。それはまた、日本経済の活性化を促すためにも必要不可欠となっている。

21世紀日本の金融においては資本市場が核となる

 日本人の預貯金好きは、第2次世界大戦後、日本の金融システムが経済復興に必要な産業資金の安定供給に好都合なシステムを選択するという発想に基づき、銀行を中心として再構成される一方で、公社債市場を中心として資本市場の発展を阻害するような政策が長年にわたって実施されてきたこととも密接に関連している。1980年代半ばから始まった金融制度改革論議は、日本経済が資金不足経済から資金余剰経済へと移行し、金融に求められる役割が資金の運用に変わったことを背景としたものであり、そこでは資本市場を中心とした金融への移行を前提として、ありうべき日本の金融の姿が議論された。しかし、残念ながら、わが国金融システムにおいては戦後40余年という長期にわたって課された規制に支えられるかたちで、銀行、証券を問わず、各業務分野ごとに大きな既得権益が発生していたこともあって、制度改革は遅々として進まなかった。1996年11月に政府が宣言した日本版ビッグバンと称される金融制度の抜本的な改革は、制度改革に向けた強い政治のリーダーシップがなければ、日本の金融が国際的な標準から取り残されてしまうという危機感が原動力となっていた。
 この日本版ビッグバンの中心は資本市場の自由化であり、実際、株式売買手数料の自由化、業態別子会社に対する業務分野規制の撤廃、銀行に対する投資信託販売業務の開放などが改革の柱となっていた。ビッグバンではまた、21世紀日本の金融においては銀行市場に代わって資本市場が核となって機能する、あるいは銀行主体に形成された日本の金融制度が資本市場を中心とするアメリカ型に移行することが想定されている。とりわけ、個人による金融資産運用という観点からみると、市場型間接金融と称されるように、株式や公社債という借り手企業が直接発行する本源的証券よりも、年金、投資信託などといったプロフェッショナルが運用する集団投資スキームが重要な役割を演じることが期待されている。そうであるがゆえに、投資信託に関しては広範囲にわたる規制緩和が実施され、競争が一段と促進された。
 しかし、規制緩和が直ちに投資信託の隆盛につながるわけではない。投資信託にはリスクが必ず随伴する。投資信託が資産の運用手段として広く個人の間に定着するためには、先に指摘したとおり、個々の個人投資家が投資信託の運用会社を信頼のうえ、そうしたリスクを負担するという決意を安心してできるよう環境を整備しなければならない。加えて、わが国において投資信託を発展させていくためには、その大前提として、わが国資本市場の一段の整備、および日本経済の成長%発展経路への早期復帰が喫緊の課題となっている。投資信託が個人の資産運用手段として広く国民の間で受け入れられるためには安定した利回りの達成が不可欠の条件であり、そのためにも日本経済の再生に裏打ちされた企業業績の本格的な回復を背景とした株高、社債の安全性向上のほか、自由で透明性の高い資本市場の構築が求められるからである。
 加えて、わが国においても年金、投資信託などの集団投資スキームが発展すれば、それらが持ち合い株式放出の受け皿となって、株式の相互持ち合い慣行も次第に解きほぐされていくことが期待される。そうしたなかで、金融機関がこれまで担っていた企業経営に対する監視、規律づけ機能(いわゆるコーポレート・ガバナンス)も資本市場に戻り、個々の企業および産業の盛衰はすべて市場のなかで決定されることになる。こうした一連の過程を経て、日本経済も市場原理が支配する透明性の高い経済へと変貌を遂げていくことが求められている。そうした課題を達成するためにも、投資信託が21世紀日本における個人金融資産の主要な運用手段となるよう、その健全な発展を促していく必要がある。

欧米流の価格形成が根づき始めた日本の資本市場

 それでは今、日本の資本市場において一体どのような変化がみられるのだろうか。いわゆる資産価格バブルの崩壊後、株価低迷、超低金利の持続、証券不祥事などというように、わが国の資本市場は現在、かつてない厳しい環境に直面している。もっとも、そうしたなかにあっても1996年秋以降、資本市場が正常に機能し始めるようになったことを示す兆候が徐々に広がっている。これまでの間、日本では右肩上がり経済を背景として、どんな運用であってもそれなりに高いパフォーマンスを獲得できた。さらに、わが国資本市場においては、株式の持ち合い慣行に加え、1990年代前半までの間、保険や年金の予定利率など資金提供者が要求する最低収益率も運用実績と比べてかなり低水準に設定されていたこともあってプロの投資家が育たず、「4社体制」と称されるように、本来的には市場に対する流動性の供給や値付けを業務とする証券会社が資本市場をリードしてきた。
 しかし、株価の低迷が長引くなかで、分散投資の理論に基づきリスクを大胆にとって運用利回りの向上を目指すという欧米流の投資手法が、1996年4月の年金運用にかかわる5:3:3:2規制の事実上の撤廃もあって、年金基金等の機関投資家の間で徐々に受け入れられるようになってきた。この機関投資家による運用姿勢の変化に加え外人投資家による売買シェアの拡大もあって、日本の株式市場では現在、年金基金など内外機関投資家の運用行動が相場形成の鍵を握るようになっている。実際、わが国の株価はここ数年、ボックス相場の様相を呈しているが、第3図が示すように、機関投資家による銘柄選択行動の高まりもあって1996年秋以降は国際優良株が値を上げる一方で、金融・建設に代表される内需依存型非製造業の株価は低迷するという株価の2極分化傾向がみられる。また最近では、東証2部上場企業、店頭公開企業のうち業績好調な、いわゆる新興成長企業の株価が高騰するなど、日本経済における変化の胎動を予感させる動きも一部にみられる。このように、わが国株式市場においては近年、本格的な機関投資家の登場と期を一にするかたちで企業業績や信用リスクに基礎をおく本来の意味での価格形成が広範化するなど、市場が正常に機能するようになっている。
 また、社債の発行市場も近年、第4図のとおり活況を呈している。こうした社債発行額の増大は、基本的には借り手企業による銀行の貸し渋りへの対応措置としての社債依存度の高まりや、実質ゼロ金利の下でより収益の高い運用を目指した個人投資家の運用行動により支えられているが、その他、次のような規制緩和や制度改革も寄与している。第1は、社債に関連した規制緩和の進展である。プロポ−ザル方式の採用や受託銀行制度の廃止は金融機関間の引き受け競争の激化を媒介として、社債発行コストの大幅低下をもたらし、資金調達手段としての社債発行の魅力を高めた。このほか、社債発行登録制度・MTNプログラムの導入など起債に関連した事務手続きの簡素化や、適債基準の撤廃、財務制限条項義務づけの廃止、発行限度枠の撤廃など起債条件の弾力化などといった一連の規制緩和も社債発行量の増大に寄与した。第2には、1997年4月に実施された社債の全銘柄についての気配値公表に伴い、価格の透明性が大きく向上したことが挙げられる。そして、第3には、社債の受け渡し決済機関が設立され、長年の懸案であった受け渡し方法の近代化が図られるなど、流通市場の整備が進められたことも国内社債発行市場の拡大につながった。
 この間、社債投資家においては、折りからの金融不安を反映するかたちで発行企業の信用リスクが強く意識されるようになった。その結果、第5図のとおり、信用格付けに基づく利回り格差もこれまでとは様変わりに急拡大するなど、社債の流通利回りも投資家のリスク選好をより敏感に反映して変動するようになった。例えば、トリプルA格の社債とトリプルB格の社債の発行スプレッドは1997年初、約60ベ−シスポイントとなっていたが、その後、拡大傾向を持続し、98年末には160ベ−シスポイント程度となっている。

社債市場発展のためにはなお解決すべき課題が少なくない

 しかし、それにもかかわらず、日本の社債市場は、市場参加者からみた場合、その奥行きや利便性において満足の行く段階にまで達したということはできない。それはまた、個人投資家、機関投資家を問わず、社債市場が重要な資金運用の場となっていないことを意味している。日本の社債市場に関する法規制、市場慣行、決済受け渡し制度等の市場インフラは現在、高度に発達したアメリカの社債市場におけるそれと比較しても遜色のない水準にまで整備されている。それにもかかわらず、市場参加者(発行体、投資家、金融仲介者)がそれらをうまく使いこなすまでに至っていないのである。そうした社債関係者の消極的な姿勢の背景としては、次のような事情が指摘できよう。
 第1に、銀行借入市場での調達コストが全体として割安な水準で推移しているため、借り手企業においてはどうしても社債を発行しようという誘因に乏しい。金利の自由化が大きく進展した1990年代に入ってからも、借り手企業の多くは、企業規模の如何を問わず、メインバンク関係に基づき信用力との比較において割安な金利での調達が可能な銀行借入に依存し続けてきたからである。そのため、発行企業においては、自らの財務体質を見直したり、投資家を意識したディスクロ−ジャ−を行おうという誘因に欠け、それがまた、投資家を社債市場から遠ざける方向で機能してきた。こうした傾向は、アメリカにおいてはトリプルB格以下の企業による社債発行実績が30%にも達しているのとは対照的にわが国の場合、本年2月に日銀が実質ゼロ金利政策の採用に踏み切るまでの間、第6図のとおりトリプルB格社債は事実上発行困難の状態に置かれていたことからも明らかである。

金融市場に残る非合理性の排除

 第2には、社債の対抗商品である預貯金の有利性が制度的に保障され、それが国民の預貯金離れ、資本市場へのシフトを阻害しているという事情が挙げられる。現在、ゼロに近い預貯金金利にもかかわらず、引き続き郵便貯金や銀行預金に資金が集まり、社債等の有価証券投資はいまひとつ盛り上がりを欠いている。この背景には、個人投資家による安全資産選好の高まりがあるのは否定できないが、預金者のコスト負担がないままに預貯金の元本が預金保険制度により2001年3月末まで保証されているという事実にも着目する必要がある。預金保険にかかわるコストは本来、預金者が預金利息の中から負担すべき筋合いにある。しかし、超低金利水準の下で金融機関が預金者にそのコストを転嫁すればマイナスの金利を徴収しなければならないため、事実上金融機関が負担している。こうした保険料負担に関する非合理的な取り扱いは、資金運用手段としての預貯金の有利性を実勢以上に高める一方、預金者に対しては預入金融機関の破綻リスクと利息の関係について本来支払うべき注意を怠らさせるという、いわゆるモラルハザ−ドを引き起こす。有価証券投資が少なくとも預貯金とイコ−ルフッティングで競争できる土壌を作るよう努力する必要があり、こうした観点をも取り入れて預金保険制度の改革を議論すべきと思われる。
 第3には、証券会社、銀行とも、当局による手厚い保護行政に長期間安住していたという事情もあって、社債市場を欧米並みの奥行きある市場に育成しようという意気込みに欠けていたという側面も否定できない。社債市場改革は、借り手企業や海外からの強い要望もあって、発行市場における規制緩和を中心に進められてきたが、流通市場の整備はわずか数年前から始まったということ自体、そうした事実を如実に物語っているといえよう。