3. 貸出金利の適正化を目指して
金融検査マニュアルに欠けていた視点
昨年暮れの中間案発表、それに対するパブリック・コメントの募集に続き、本年4月、金融監督庁は銀行などを検査する際の指針となる「金融検査マニュアル」の最終案を発表した。最終案では、不良債権の判定基準や償却・引当基準など、中間発表の段階で「実態に合っておらず厳しすぎる」と指摘された定量基準が一部緩和された。しかし、銀行経営にかかわる細目規定に関しては特に変更が加えられていない。加えて、今般の修正に際しては銀行の貸し渋り状況の監視という項目が新たに盛り込まれるなど、規範的な性格がより一層強まった。その意味で、この検査マニュアルについては、銀行経営に関する教科書的な位置づけを目指したものと捉えることができる。
金融機能は経済における血流に喩えられるように、金融システムは経済システムの根幹をなすものであり、健全な金融システムなくしては健全な経済活動は維持できない。このことは、バブル崩壊以降、金融機能が膨大な不良債権の発生によって機能不全の状態に陥ったため、わが国経済全体に有形・無形の負担をもたらしていたことからも明らかである。こうした文脈のなかで考えると、金融機能の早期再生を図るためには、ある程度は「箸の上げ下げ」まで事細かに当局側が規定していくことも必要であるという議論も理解できる。しかし、問題なのは、そうした微に入り細にわたった「決めごと」が金融機能の早期再生にとって果たして十分なものとなっているかということである。
本年3月に実行された公的資金による資本注入に際し、金融再生委員会は申請を希望する銀行に対して強力なリストラの実施を求めた。この公的資本注入は、数年後における返済が求められていることからも明らかなように、政府による一時的な流動性の供給という性格が強い。それゆえ、資本注入された公的資金の返済をより確実なものとするためには、銀行の収益力を十分に高めなければならない。しかし、不思議なことに、経費の削減や非効率な設備の売却などといったコスト削減策についてはかなり厳しい条件が付けられているにもかかわらず、収益面、とくに業務純益(事業会社の営業利益に相当する利益概念)の大部分を占める資金収支に大きな影響を及ぼす貸出利鞘の拡大に関しては、具体的な条件がほとんど付されていない。
そもそも日本の銀行の経費率は、欧米の銀行のそれに比べてかなり低いレベルにある。それゆえ、リストラの実施によるコスト削減がもたらす追加的な収益拡大への貢献額はわずかなものにとどまるといえよう。公的資本注入に随伴する納税者の費用負担リスクの顕現回避を最優先するのであれば、銀行の収益力向上を至上命題とせざるをえまい。もし、この命題の達成を本格的に追求するのであれば、金融再生委員会においては資本注入を受けた銀行に対し、人件費や物件費の削減もさることながら、貸出利鞘の拡大を目指して貸出金利を適正な水準まで引き上げることを求めると同時に、その実施状況を監視することのほうが戦術論的にも重要度が高いと考えられないだろうか。
ちなみに、図表3は日本とアメリカの銀行の収支構造を比較したものである。この図表からも明らかなように、アメリカの銀行の場合、貸出取引など伝統的な銀行業務から得られるネット金利収入(利鞘)は日本の銀行の実に4倍にもなっている。日本の銀行の場合、手数料収入など非金利収入の増大といった収益源の多様化が長期的な経営上の課題となっているが、引き続き貸出取引が収益の大半を占めているため、短期的には貸出利鞘の拡大のほうがより重要かつ実効性に富むと判断される。そして、利鞘の確保が資本注入された公的資金の返済原資を確保するうえでの有効な方策であるとすれば、経営健全化計画のなかで掲げられた貸出利鞘の確保を怠った銀行に対しては、「実行能力不足」という認定を下さざるをえまい。
貸出金利の適正化に向けた動きを点検する
しかし、実際には、収益向上項目に関しては「自助努力」を建前とし、総論賛成のレベルにとどまっている。一部の銀行の経営健全化計画においては、どう考えても実現不可能と考えられる大幅な金利の引き上げ目標がすんなりと受け入れられているところをみると、金融再生委員会も実際には貸出利鞘の拡大を是認しているのではないかと思われる。その一方で、金融検査マニュアルにおいては、貸出利鞘の適正性に関する言及がみられない。こうした点を踏まえて考えると、金融再生委員会においてはむしろ、貸出金利の適正化および公的資金の返済をより確実なものとするためにも、個々の金融機関における貸出金利の適正性確保に向けた方策とその実施状況をチェックすることの重要性が高まっているといえる。
それゆえ、われわれとしては、(1)信用リスクとの比較でみて貸出金利が適正な水準に設定されているか否かという視点を金融機関の自己査定マニュアルに追加すること、(2)監督当局による検査のチェック項目に適正水準の貸出金利徴収という各金融機関が設定した目標の達成状況についての点検を盛り込むことを提言したい。具体的には、金融検査のつど、個々の銀行が設定している行内格付けおよびそれに基づく基準金利を前提として、貸出実行に際しての基準金利の適用状況をチェックするということになろう。
アメリカでは銀行監督当局が貸出金利の動きを監視
ちなみに、アメリカの場合、銀行の貸出金利をめぐる事情はわが国とはかなり異なる。確かにアメリカでも、貸出金利は銀行により公表された優良企業に適用される最優遇金利であるプライムレートが公表され、それを基準として個別に貸出金利を決定するという慣行が支配していた。しかし、そういった慣行は1990年代前半に姿を消してしまい、現在では信用リスク評価モデルに基づき借り手の信用度を評価、ランクづけした後、あらかじめ定めた金利テーブル上の当該信用ランクに応じた貸出金利を適用するという手法が広く普及している。それはまた、かつてのように代表的な短期金融市場での金利動向を基礎としてベース金利を決め、そこにリスク・プレミアムを上乗せするというプライムレート決定方式を維持する限り、借り手企業の信用度に対応した利鞘を確保することができないという事情を背景としているのではないかと判断される。アメリカでは最早、プライムレートという言葉は死語となっているのである。
こうした銀行の貸出金利政策運営の変化を受け、銀行監督当局による対応も変わっている。例えば、銀行持株会社および州法銀行に対する監督権限を有する連邦準備制度(FRB)では、その商業銀行検査マニュアルの「貸出ポートフォリオ管理」という項目において、「最低限の基準として貸出金利は、資金調達コスト、経費および予想される損失をカバーするものでなければならない」と明記されており、それがまた、銀行による新たな貸出金利政策を裏打ちしていると考えられる。加えて、FRBでは四半期ごとに貸出金利動向に関するサーベイ調査を実施・公表し、貸出金利や銀行の融資姿勢が適正な水準から逸脱したと判断されるときには、明確なかたちで警告信号を発するということも行っている。実際、98年6月にはFRBが融資の厳格化を求める書簡を各銀行に送付しており、そのなかで信用リスクに見合う貸出金利設定を行うよう求めている。いずれにしても、アメリカの場合、銀行の健全性維持のため、その時々の貸出金利の動きまで監視しているのである。わが国においても、そういった対応姿勢を参考にする必要があるのではなかろうか。
財務状況からみたわが国企業の実態と貸出金利
それでは実際に、貸出金利が適正水準から乖離しているという事実はどのようにして検証できるであろうか。1997年度の法人企業統計年報によれば、わが国企業の総債務残高(長・短借入金と社債の合計、割引手形は除く)は621兆円である。これに対し、内部留保額(当期利益+減価償却実施額−役員賞与−配当金)は44兆円となっている。これは、わが国企業が経常的に産み出すキャッシュ・フローから配当など企業としての存続に不可欠な経費を差し引いた余剰資金を新たな投資などに振り向けることなく、そのすべてを借金返済に充てると想定しても、全額償還には14年もかかることを意味している。もちろん、この借金のなかには経常(必要)運転資金183兆円が含まれている。経常運転資金は仕入れや製造にかかるコストが商品の販売代金で回収されるまでの間のつなぎ的な性格をもつ資金であるため、企業活動の永続性を前提とする限り、自己決済性は持っているものの、実態としては元本の中途償還はないと考えられる。したがって、総債務621兆円からこの経常運転資金に相当する183兆円を控除した438兆円を要返済債務として計算するほうが、より正確といえるであろう。
この場合、借金の償還に要する年数は10年となる。個人消費者のレベルでも期間20〜30年の住宅ローンを組んでいる事実を考えると、10年という年数は一見短いように感じるかもしれない。しかし、既存技術の陳腐化が急速に進み、設備の実質的な耐用年数が短期化している昨今において、10年という年数は決して短いとはいえない。また、より注目すべきことは、図表4にみられるとおり、こうした借金の償還に要する期間がこの12年間で徐々に長期化し、1985年度には7年であったのが10年となったという事実である。
では、このような要返済債務を借り手企業はどれくらいの金利を支払って借り入れているのであろうか。同じく1997年度の法人企業統計年報によれば、企業が負担する(平均)借入金利子率(長・短借入金、および社債に割引手形を加えたベース)は2.6%である。これは長期・短期を合算したあくまでも平均的な利子率であり、このなかには経常運転資金部分にかかわる金利も含まれている。それゆえ、要返済債務部分にかかわる金利の算出に際しては、若干の工夫が必要となる。先にも述べたとおり、経常運転資金は通常、短期借入金として捉えることができる。したがって、経常運転資金部分を短期借入金利、要返済債務部分を長期借入金利で借り入れていると仮定のうえ、実際の借入金利子率である2.6%をもとにして同年度における都市銀行の長・短貸出約定平均金利(長期:2.528%、短期:1.820%)の構成比率を使って要返済債務部分にかかわる利子率を逆算すると、2.8%という結果が得られる。
日本の企業は平均的にはトリプルB格の財務内容をもつ
それでは、ここで算出された2.8%という数値からは一体どういったことが読み取れるのだろうか。金利の決定要因を考えた場合、資金調達金利は一般に、国債などの安全資産金利に調達主体の信用リスク(倒産リスク)を示す信用リスク・プレミアムと流動性に対応した残存期間プレミアムを加えたものに等しい。法人企業統計に基づき計算された2.8%という金利水準は10年という償還期間を前提としたものであり、言い換えれば10年もの社債の利回りを示しているとも考えられる。社債利回りは先に触れたとおり、同期間の国債利回りに信用リスクプレミアムを加えた水準に決定される。1997年度における利付国債の平均流通利回りは2.374%であったことから、2.8%という借入金利との差額である0.426%は日本企業の平均的な信用リスクを表していると考えられる。しかし、現実にはそうなっていない。若干の変動はあるが、期間10年の社債を考えた場合、最上級のトリプルAの格付けを有する債券利回りと国債利回りの間のスプレッドが0.5%前後の水準で推移しているからである。つまり、わが国企業が平均的に支払っている借入金利が信用リスクとの対比でみて適正な水準にあると仮定した場合、わが国の平均的企業像はトリプルA格の格付けを有する起債者企業であると結論づけられる。
常識的に考えても、そのようなことはありえない。もちろん、要返済債務部分にかかわる金利を10年国債の利回りと比較すること自体、そもそも間違っているという意見があるかもしれない。要返済債務の全額償還に10年を要するといっても、国債は期限一括償還が原則であるのに対し、要返済債務の償還は元本均等返済を前提としているという点で異なる。国債と比較するためには償還までの元本額を同額に揃える必要があり、そうした調整を行うと、要返済債務の償還期間は理屈上5年にまで短縮されるからである。1997年度における残存期間5年の国債の平均流通利回りは1.36%であった。そして、先ほどと同様の計算を行うと、この場合の信用リスクプレミアムはトリプルB格の格付けを有する起債者企業に適用される1.44%となる。しかし、中小企業をはじめとして倒産件数が累増しているほか、株式を公開している大会社までもが軒並み減益もしくは赤字決算に喘いでいるという事実を考慮すると、これがわが国の企業の平均像であるという結論に対しては疑問を感じずにはいられない。
図表5はこうした貸出金利の水準について違った方向から検証し直したものである。すなわち、この図は、一般に都市銀行による貸付金の平均残存期間は3年程度とされるため、この仮説に基づき銀行の貸出約定平均金利を残存期間3年の国債流通利回りと比較したものである。そして、同図からは銀行の平均貸出金利は概ねシングルA格の格付けを有する社債の流通利回り近辺を推移していることが見て取れる。
貸出金利の引き上げは果たして可能か
これらのことから得られる唯一の結論は、わが国企業が借り入れにあたって支払っている金利水準は、平均的にみて実際の信用リスクに比して過小なものとなっているということである。それゆえ、金融市場における価格機能を回復させるためには、借入金利の大幅な引き上げが不可欠といわざるをえない。しかし、こうした金利の引き上げはわが国企業の収益力からして可能だろうか。再び法人企業統計年報によると、長・短借入金に社債、割引手形を加えた合計は644兆円である。一方、税引前当期利益は23兆円と総債務残高の3.5%という水準にとどまっている。つまり、わが国企業が赤字に陥ることなく甘受できる借入金利の限界引き上げ幅は3.5%ということである。
先にも触れた格付け別での国債金利とのスプレッドで考えれば、この3.5%はトリプルB格未満の格付けを有する債券に対するスプレッドを意味している。もちろんわが国社債市場においてトリプルB格未満の低格付企業は決して主流ではないが、こうした社債格付けを取得しているのは一握りの大企業に過ぎない。そうした格付を取得していない多くの中小企業も含め、わが国企業の場合、実に3分の2以上が赤字企業という現実に目を向けると、貸出金利の適正な水準までの引き上げを本格的に行おうとした場合、耐えきれなくなる企業が少なからずでてくるのではないかと推測できる。
市場の風に身をさらす以外、生き残りの途はない
この結論は、借り手企業、金融機関双方からみて、きわめて厳しいものである。戦後50余年間のなかで形成された、わが国独特の金融取引慣行に対し根本的な見直しが求められるからである。できれば先送りするか、あるいは部分的な対応にとどめるという誘因に駆られるのも事実であろう。しかしながら、貸出市場における価格体系の再構築を通じた市場原理の徹底が行われない限り、金融システム不安問題のみならず、わが国経済が今日抱える多数の構造問題を解決することはきわめて困難といわざるをえない。確かに、これまで長年にわたってわが国経済を支えてきた概念やシステムを一気に転換させるのは決して容易なことではない。また仮にそうした施策を一挙に実行した場合、問題があるとはいえ、既存のシステムが全体として人々の生活のなかに浸透しているため、大転換がもたらすショックは甚大なものとなり、ともすれば経済全体が崩壊してしまう危険性も否定できない。21世紀を目前に控えた今、日本経済に対しては、新しい世界に果たしてランディングできるか否かが問われているのであり、もはやランディングの方法についてあれこれ選択できる余地や時間は残されていないといえる。
先にも述べたとおり、わが国では戦後における復興・発展の過程で産業界に対する資金の安定供給が最優先されるなかで、護送船団方式、メインバンク関係といった淘汰を前提としない、いわゆる日本型システムが構築された。そして、戦後われわれが長年にわたって馴染んできた日本型システムは、戦後の復興期やその後の高度成長過程においては比類ない適合的システムであった。しかし、自由化、グローバル化が大きく進んだ今日の世界においては、むしろ逆に適合性に欠ける面が急速な勢いで増大しているだけでなく、時代適合性を喪失したシステムに微調整を施し、システムの維持を図ろうとするのは全員で泥船に乗り込むことにも等しい。
いま、われわれに求められているのは、比喩的にいうと、長年にわたって愛用してきた心地よい毛皮を脱ぎ捨て、あえて市場という名の厳しい風のなかに身をさらして心身を鍛練し直す勇気をもつことである。市場は時として、暴君のように暴力を振るうかもしれない。しかし、そうした市場の動きを見据えながら、日々自らの経営行動を市場のなかで律し、最大利潤の確保を追求していくことこそ本来、経営者に求められる責務と思われる。こうした経営者と市場もしくは株主との間の絶え間ない緊張関係のなかで、コーポレート・ガバナンスは確立されるのである。