エグゼクティブ・サマリー
ここ数年来、日本経済に暗い影を投げかけていた金融機関の不良債権問題に関しては、本年3月の公的資金による資本注入もあって、ようやく解消の目途がついたかのようにみえる。しかし、金融市場における価格メカニズムの崩壊あるいは信用リスクに見合った価格付けが行われていないというわが国の金融が抱える根本的な問題については、貸し渋り対策や不良債権処理に議論が集中するあまり、真剣に考慮されることなく放置されたままの状況にあるといっても過言ではない。
そもそも不良債権は、貸し手である銀行と借り手である借り手企業との共同の産物として発生する。このことは、銀行が預金者と借り手企業との間に位置して資金の仲介を業として営んでいるという事実からも明白である。銀行が大量の不良債権を抱えているという事実を裏側から見れば、借り手企業が過剰設備など大規模な不稼動資産に悩まされている姿が浮かび上がってくる。
金融取引は、貸し手が借り手の信用リスクを詳細に分析のうえ、その信用度に見合った条件でお金を融通することを前提としている。信用リスクの低い優良企業は市場平均よりも安いコストで資金を調達できる一方、財務内容がすぐれないなど信用リスクの高い企業は割高な金利の支払いを求められる。これが金融の基本原則であり、アメリカに代表される資本市場が発達した国においては、そういった価格メカニズムが有効に機能している。それゆえ、アメリカなどにおいては資本コストと称される投資家が要求する最低利回りが民間企業の投資採算を規定する、あるいは投資行動を通じて企業経営者は市場において監視され、規律づけられている。つまり、市場から要求される金利を所与としながら、企業はそうした資本コストを十分上回る投資利回りを確保できる投資プロジェクトの開発・発掘に専心し、それができない企業は市場からの退出を求められる。これが資本市場の論理である。
一方、わが国の場合、間接金融優位といわれる金融構造の下で、これまでの間、資本市場を媒介とした借り手企業に対する監視や規律づけは有効に機能せず、そうした機能はメインバンクを中心として銀行が実質的に担ってきた。日本の銀行は経済成長に不可欠な産業資金の安定供給に必要な信用仲介機構として位置づけられ、護送船団方式とよばれる手厚い保護行政の下に置かれてきた。こうした保護行政の下で淘汰される恐怖から解放された銀行においては、収益性よりも量的拡大を重視した営業戦略が採用されるなど非効率な経営が維持された。借り手企業もまた、メインバンク関係と呼ばれる独特の取引慣行を受け入れることで護送船団システムの一員となり、同じく淘汰される恐怖から解放されることを選好した。それゆえ、わが国においては倒産がない分だけ銀行が新規貸出の実行に際し適用する金利はあるべき水準よりも低くなるなかで、企業が新規投資に当たって考慮すべき予想収益率も低くなっていった。
このような倒産リスクのない、言い換えれば救済を前提として退出口を塞いだ経済システムにおいては、収益性よりも量的拡大を経営戦略として重視するよう誘因づけられる。そうしたなかで、銀行は本来あるべきリスクに見合った貸出金利の徴収を放棄して低収益構造に甘んじる一方、借り手企業もコストを支払った後にはほとんど何も残らないような低採算の投資を次々と実行していった。歴史に「もしも」は禁物であるが、仮に銀行が信用リスクに見合った適正な貸出金利を徴収していたならば、不良債権の償却に自己資本を使い果たして公的資金に頼らざるをえないといった前代未聞の事態は回避しえたほか、企業においても、景気の低迷が直ちに過剰設備問題につながることはなかったと考えられる。
銀行、借り手企業双方による信用リスクの軽視がもたらした銀行貸出市場における価格体系の崩壊は、わが国資本市場のあり方や借り手企業の資金調達構造にも大きな影響を及ぼしている。銀行貸出市場が安売り市場と化していたため、わざわざ高い金利を払ってまで借りる必要はないとして企業が挙って銀行貸出市場に集中した結果、累次にわたる規制緩和措置の実施にもかかわらず、社債市場が発達する機会が損なわれてきたのである。また、企業による資金調達が銀行貸出市場に極端に依存した結果、いざ銀行が融資姿勢を硬化させた時には一瞬のうちに資金繰り不安に見舞われるという借り手企業における資金調達構造の脆弱性がもたらされた。加えて、われわれはここ1〜2年の経験のなかで、資金パイプの蛇口が銀行という1ヶ所に限られていると、その蛇口が一旦つまったときには金融政策の効果が大きく減殺されることを学んだ。SPC法やその関連法が成立したにもかかわらず、貸出債権の証券化が思ったほど進んでいない根本的な原因も、貸出金利がリスクに見合った水準となっていないことに求めることができる。
こうした事態を改善のうえ日本の金融を活性化させていくためには、銀行貸出市場における価格形成の歪みを是正し、リスクに見合った適正なリターンが形成される市場取引環境をつくりあげるしか途は残されていないといえよう。それゆえ、われわれとしては、金融ビッグバン後の21世紀という新しい世界に踏み出すうえでも必要不可欠な金融機能の早期正常化を目的として、自己責任原則の徹底を図ったうえで、次のような施策を導入することを提案したい。
(政策提案)
- 信用リスクとの比較でみて貸出金利が適正な水準に設定されているか否かという視点を金融機関の自己査定マニュアルに追加することを求める。
- 監督当局による検査のチェック項目に適正水準の貸出金利徴収という各金融機関が設定した目標の達成状況についての点検を盛り込むことを金融監督庁に求める。
- 中小企業など、特定のジャンルに限った貸出の増加目標を銀行に課すことを止めるよう金融再生委員会に求める。