4. わが国におけるprudential surveillanceの確立を目指して

不良債権問題の早期解決が大前提

 以上のとおり、ペイオフ解禁を各種の金融取引に撹乱的な影響を与えることなく実施するためには、金融機関の抱える不良債権の処理に完了の目途がついていることが前提条件となっており、この条件が満たされている限り、ペイオフ解禁は「とるに足らない問題」ということができる。しかし、事態はそう容易いものではない。
 稿を改めて論じるように、わが国においてはこれまでの間、金融機関に対してはマクロ経済の安定維持という公共目的の達成のため、困難に直面した借り手企業に支援の手を差し伸べることが期待される一方、金融機関もそういった使命の達成を当然のこととして行動してきた。これがメインバンク関係と呼ばれるわが国独特の金融取引慣行の底流を形成する考え方であり、そうした取引関係を前提として過剰設備、過剰雇用および過剰借入問題の解消が先送りされるなかで、地価、株価といった資産価格が期待に反して大幅かつ持続的に下落したことから、不良資産問題が深刻化したのである。それゆえ、日本経済の活性化を促すとともにペイオフを予定どおり実施するためには、公的資金を大胆に投入のうえ不良債権問題の早期解決を図ることが求められる。
 こうした認識を基礎として、政府では1998年3月および99年3月の2度にわたって大手銀行を対象として公的資金による資本注入を実施した。しかし、子細に検討すると、両者の性格はかなり異なることがわかる。すなわち、98年3月の場合、預金保険機構に対しては政府から交付された国債(3兆円)を財源として優先株や劣後融資の引き受けに伴い整理回収銀行において最終的に残った損失を補填することが認められるなど、公的資金が被投入金融機関の破綻リスクを負っていることが明定されている。これに対し、99年3月の資本注入では、健全な金融機関への公的資金投入であるという位置づけから、政府による関与は預金保険による資金調達への政府保証の付与にとどまり、公的資金による損失の最終的な補填は明示的には想定されていない。実際、金融再生法は資本注入を受けた金融機関に対し当該資金の返済を義務づけているため、公的資金を金融機関が不良債権処理に充当する途が事実上閉ざされている一方で、政府が不良債権処理に伴う損失を最終的にはどこまで負担するのかという点に関しては曖昧なまま残っているなど、その性格づけが今ひとつ判然としないのである。
 先に指摘したように、現在の不良債権問題は、バブル期に資産・負債とも大きく拡大した日本経済のバランスシート調整が未だ完了していないなかで、金融機関が困難に直面している借り手企業を支援していることの反映でもあるため、金融機関の不始末を指弾するだけでは何ら問題の解決にはなりえない。このdebt overhangを解消するためには、損失の補填を目的とした公的資金の大胆な投入が不可欠となっており、そうした観点からは99年3月に投入された公的資金を金融機関が不良債権の償却原資として利用できるよう早急に制度改正することが強く求められる。

5原則に基づくprudential surveillance体制の確立

 われわれは1997年11月、21世紀日本の金融の基礎を固めるためには不良債権問題の早期解決が不可欠であるとして、公的資金の投入および資金投入に際し遵守すべき五原則を提案したが、この考え方は今も基本的には変わっていない。それゆえ、われわれとしては、21世紀日本における金融の骨格作りを目指して、この五原則にしたがってここ3年間のうちにパッチワーク的に導入された破綻金融機関処理の枠組みを統一的な観点から再構築、整備のうえ、なるべく多様な破綻処理スキームを準備する一方で、市場に備わったチェック機能や公的当局による規制監督を媒介として、金融機関経営者を規律づけるとともに節度ある経営を促したり、システミック・リスクの発生を未然に防止するというprudential surveillance体制の確立を提案したい。
 ここでいうprudential surveillanceとは市場規律を活用した信用秩序維持政策のことを意味し、金融機関が公表したディスクロージャー情報に基づき預金者や投資家が個々の金融機関の健全性を判断のうえ採った投資行動を媒介として問題金融機関を炙り出すとともに、そういった金融機関に対しリストラ努力あるいは市場からの退出を促すところに特色がある。このとき、公的当局に対しては、預金保険、破綻金融機関処理制度や中央銀行による最後の貸し手機能などといったセーフティネットの提供を通じた金融システムの安定性維持のほか、あらかじめ定められた健全性基準を満たせなかった金融機関に対しては早期是正措置を発動のうえ、健全経営に向けた経営努力を求めるという役割が期待されている。参考までに、その後の情勢変化で陳腐化した条項も含め、われわれが1997年11月に提案した公的資金投入に関する五つの原則を掲げると、次のとおりである。

(1997年11月に提案した公的資金投入に関する五つの原則)

  1. 目的:預金者、契約者の保護2000年度末までの間は、預金、顧客預かり資産および保険・年金契約については保護することとし、そのため真に必要となる資金については新たに設けられる"特別会計#から支出する。とりあえず1997年度の補正予算で2兆円の特別国債の発行を行う。必要に応じて特別国債の入札発行ができる枠組みを、総計10兆円を上限に設定する。
  2. 前提:破綻金融機関の清算公的資金の投入はあくまでも預金者等の保護を目的としたものという位置づけを明確にするため、破綻した金融機関については、地元経済に対し深刻な影響を及ぼすおそれの強い地域金融機関を除き、すべて清算する。
  3. 司法手続きの開始:不正の摘発破綻金融機関においては、経営者の退任、株主・出資者による損失負担は当然のこととする。また、破綻金融機関において背任、横領など違法性の疑いのある取引が発見された場合には司法当局への告発を行うなど、厳格な責任追及を行う。
  4. 到達点:金融機関の自己規律の確立不良債権問題の再発防止のため、2001年度の実施を目指して自己資本(保険については支払余力)を基準とした早期是正措置における発動基準や措置内容の厳格化を図る。また、預金保険料率も自己資本比率に基づき異なった料率とする。これらの措置はいずれも金融機関経営者の自己規律マインドの向上を図るためである。加えて、時価会計に基礎を置いた経営財務内容の開示(ディスクロージャー)を一段と推進し、預金者や投資家が健全な取引先を選択できる環境の整備に努める。
  5. 費用の最小化:借り手責任の追及公的資金の投入金額を最小限にとどめるためにも不良債権の回収に努め、財政資金負担の軽減を図る。そのために、預金保険機構を中心とした不良債権に関する回収機構の整備を図る。

Prudential surveillanceの導入は自己規律の確立に向けた環境整備を意味する

 わが国においては一般に、個々の金融機関の破綻防止や金融システムの安定化に向けた諸施策のことを信用秩序維持策あるいはプルーデンス政策(prudential policy)と呼んでいる。上記の五原則は、このプルーデンス政策運営の基本原則を公的資金投入というフィルターを媒介として述べたものであり、その意味で、公的資金の投入方法や規模を除けば、金融システムの安定化を検討するうえでの原則として普遍的な性格を有しているということができる。しかし、その一方で、公的資金投入による損失補填は、預金者保護を図るうえではいわば最後の手段であり、国民経済的にみてもそうした事態に至らないのが望ましい。そうであるがゆえに、政府においてはペイオフコストを破綻金融機関処理に際しての数量的な基準に位置づけたうえで、数ある処理法策のなかから最も費用割安となるスキームを選択のうえ処理することが重要となっている。
 今日本に求められているのは、護送船団方式という旧来の信用秩序維持策に代わる、透明性が高くて実効性に富む新たなセーフティネットの早期構築であり、金融機能の維持を通じて日本の金融システムを保護するという政府の決意表明である。銀行中心型の金融システムとなっている日本の場合、アメリカなど資本市場を中心とする国々とは異なり、金融システムあるいは金融機関に対する信認が大きく動揺した時の個人や企業による資産の運用調達行動や消費、投資に対する悪影響は計り知れない。資本市場という貸出市場と代替的な金融市場が未発達な分だけ、金融機関に対する信認の動揺が金融経済活動に及ぼす効果が大きいからである。このことは、1997年11月における金融機関の大型倒産がその後の日本経済に暗い影を投げかけてきたことからも明らかである。
 国際金融市場においては1995年夏場以降、ジャパン・プレミアムが金融不安の高まりとほぼ連動するかたちで発生しているが、それはまた、日本政府に対し金融機関経営の重石となっている不良債権問題を早期解消するとともに市場における経営規律づけメカニズムを活用した監督政策の実施を催促する市場の声とも解釈できる。金融システムの安定性を維持するためには、経営の破綻した金融機関に対しては市場からの速やかな退出を求める一方、当該金融機関が顧客との間で担ってきた資金決済機能、信用仲介機能については十全な保護策を講じるという観点から、プルーデンス政策の見直しが求められている。それゆえ、われわれとしては、ペイオフ凍結措置の解除と21世紀日本の金融の骨格づくりを目指して、次のような施策を国民との間の社会的契約として少なくとも今後1年間のうちに導入し、金融ビッグバンに相応しいprudential surveillance体制の確立を提案したい。

1. ペイオフの意味の国民に対する周知・徹底と金融機関を選択できる環境の整備2. 不良債権問題の早期解決を狙いとする公的資金の大胆な投入3. 信用秩序維持策としての早期是正措置の位置づけ強化4. 破綻金融機関処理に関する枠組みの恒久化5. 預金保険制度の見直し

われわれの提案

  1. ペイオフの意味の国民に対する周知・徹底と金融機関を選択できる環境の整備
     国民の間では現在、ペイオフの解禁は一般預金者に金融機関の経営破綻リスクの負担を求める政策であり、できれば延長して欲しいという考え方が根強い一方で、1000万円超の預金については他の金融機関に預け代えるという動きがみられはじめている。こうした捉え方や行動は、ここ3年間、日本経済は100年に1、2度というかつてない金融不安に見舞われたことを反映したものであり、そういった見方が醸成されるのも理解できる。
     しかし、国民の多くは決定的な誤解を犯している。ペイオフの解禁後、破綻金融機関の処理はすべてペイオフで対応されるという誤解である。ペイオフの解禁とペイオフの発動とは異なるのである。もっとも、この誤解の責めをすべて国民に帰すことはできない。これこそ政府による広報活動の怠慢の結果であるといわざるをえない。それゆえ、政府に対しては、ペイオフ解禁に対する国民理解の一層の向上を目的として、ペイオフの意味するところについての広報活動を強力に推進することを提案したい。
     その一方で、国民の政府に対する不信の念はなお強いといわざるをえない。ここ数年間、不良債権問題に関しピークアウト宣言が幾度となく出されたにもかかわらず、事態はむしろ深刻化していったからである。国民が広く政府の言動を信認するためには、その成否を自ら能動的に判断できる環境が整備されていることが必要十分条件として求められる。したがって、政府においては、上記の広報活動と併せて金融機関経営の健全性は営業活動と自己資本との関係により測定できることを周知・徹底するとともに、時価会計に基礎を置いたディスクロージャーを一段と推進し、第3者機関による評価等を参考にしつつ、預金者や投資家自らが安心して取引できると判断した金融機関を取引先として選択できるよう環境を整備することを提案する。
  2. 不良債権問題の早期解決を狙いとする公的資金の大胆な投入
     公的資金の投入は、それ自体、問題金融機関の救済のためではなく、困難に直面した金融機関が顧客との間で担っている金融機能の保護を媒介として預金者や投資家など国民一般の保護を目的としたものである。こうした点を明確にしたうえで、金融システム安定化を図るためにも、国民の一人ひとりが納得できる透明性の高い方法に基づき、損失の補填を目的とした公的資金を大胆に投入することが強く求められる。
     現在の不良債権問題はまた、日本経済のバランスシート調整が未だ完了していないなかで、金融機関が困難に直面している借り手企業を支援していることの反映でもある。このdebt overhangを早期に解消するためにも、第1ステップとして99年3月に資本注入された公的資金を金融機関が不良債権の償却原資として利用できるよう早急に制度改正する(例えば、金融再生法の施行により廃止となった3兆円の交付国債の復活)ことを提案したい。
  3. 信用秩序維持策としての早期是正措置の位置づけ強化
     国民の金融機関に対する信頼感を確固としたものとするためには、非効率的な経営状況にある金融機関に対しては一層のリストラの推進や市場からの退出を促し、金融機関経営の健全化を早急に図る必要がある。そのためにも、後で詳しく述べるように、破綻金融機関処理に関する枠組みの一層の整備や預金保険制度の拡充を通じて預金者保護に十分配慮のうえ早期是正措置を厳格に適用することにより、問題金融機関が市場のなかで炙り出され、自動的に退出=破綻を余儀なくされるメカニズムの強化を提案したい。
     この早期是正措置の厳格適用は、問題金融機関の経営者や株主を市場のなかで規律づけるものであり、ビッグバン後の21世紀日本の金融におけるガバナンス機構の中核として位置づけられる。この措置はまた、金融界と行政当局との持たれ合いの排除、金融行政の透明化のほか、市場原理に則った効率的な資源配分の達成、金融機関のみならず経済主体ごとの自己規律と統治(コーポレート・ガバナンス)の回復にも大きく寄与することが期待される。そのためにも、先に述べた時価会計に基づくディスクロージャーの充実に加え、検査員の常駐をはじめとして監督当局による検査体制の一段の整備・拡充は前提条件として欠かせない。
  4. 破綻金融機関処理に関する枠組みの恒久化
     ここ3年間のうちに金融システムの安定性維持を目的として、ブリッジバンク制度や特別公的管理制度(一時国有化)が導入されるなど、わが国においても破綻金融機関処理の枠組みが大きく整備された点は評価できる。しかし、そういった制度の多くはパッチワーク的に導入されたものであり、しかもほとんどが2001年3月末までの時限措置となっている。2001年4月以降、わが国金融機関の破綻を未来永劫ゼロとするのは事実上不可能であり、金融機関の破綻から預金者や借り手を保護するためには、普段から有事に備えた体制を整備しておくことが求められる。
     それゆえ、われわれとしては政府に対し、現在の破綻金融機関の処理に関する暫定的な枠組みを公的資金投入のあり方をも含め統一的な観点から見直し、恒久的な枠組みへと再構築・整備し、なるべく多様な破綻処理スキームを平時から準備しておくことを提案したい。そしてまた、個々の破綻金融機関に即して処理スキームを選択するに際しては、公的資金投入額を最小の水準に抑えるためにも、ペイオフコストを基準として最も費用割安な方法を選択するよう義務づけることが求められる。
  5. 預金保険制度の見直し
     現行の金融機関一律の保険料率では、個々の金融機関においては税金と同様の効果しか有さない。金融機関経営者の自己規律マインドの向上を図るためには、健全経営に向け節度ある経営に努めた金融機関の保険料負担が軽減される一方、リスク度の高い資産ポートフォリオを有する金融機関の保険料率が割高となるよう、預金保険料率については例えば自己資本比率に基づく可変性とすることが求められる。
     また、現下のペイオフをめぐる議論が混乱している背景のひとつとしては、預金保険制度のペイオフ・スキーム自体が預金者に厳しく設計されているという事情が指摘できる。すなわち、金融機関が破綻しペイオフが発動された場合の仮払額が20万円(ただし、普通預金に限る)というきわめて少額に抑えられているほか、保険金や清算配当が支払われるまでには相当の期間を要するため、預金者は別途流動性を確保しなければならないのである。破綻金融機関の処理方法としてペイオフを解禁するに際しては、預金者保護の観点からもこうした制度設計を早急に見直し、1000万円以下の預金元本に対しては速やかに全額払い戻すことが求められる。
     一方、1000万円超の部分の預金については最終的には清算配当されるため、破綻金融機関が極端な乱脈経営の状況にない限り、7〜9割程度は戻ってくると判断される。それゆえ、預金者の預金保険制度に対する信認を確保するためにも、これまでの平均的な破綻金融機関での損失割合を参考にしつつ、早期是正措置の厳格な適用による問題金融機関の市場からの徹底した退出を前提として、2001年4月からは1000万円超の部分に関しても元本の5〜7割程度を仮払金として支払えるよう制度改正することを提案したい。