2. 相次いで導入された預金者保護を目的とした時限措置
2001年3月末を期限とする4つの保護措置
第1表は、1990年代半ば以降、金融不安が高まるなかで信用秩序維持のための緊急避難策として時限的に導入された措置を一覧表にまとめたものである。この表からも明らかなように、わが国金融システムの安定性あるいは預金者の金融機関に対する信認は現在、4つの保護措置により維持されている。そして、これら4つの保護措置は、(1)ペイオフの5年間凍結による預金の全額保護と特別保険料の徴収、(2)金融機関の破綻から預金者を保護するための公的資金の投入、および(3)借り手保護や金融機能の早期健全化を目的とした公的資本注入という3本柱により構成される。しかし、それらはいずれも2001年3月末に期限を迎える。それゆえ、われわれに対しては現在、21世紀という新しい時代環境に相応しい信用秩序維持策のあり方を展望のうえ、少なくともこの1年間のうちに金融システム安定化に向けた枠組みの整備を完了させると同時に、預金者の金融機関、金融システムに対する信認を盤石なものとすることが求められている。
いうまでもなく、これらの保護措置は、預金保険制度を核として運営されている。預金保険制度とは、預金の取り扱いを認められた金融機関が集まってひとつの保険機構をつくり、対象金融機関から徴収した保険料を原資として加盟金融機関の経営が破綻して預金の払い戻しができなくなった時に、(1)預金者に対し一定の限度内で直接保険金の支払いを行う(これをペイオフという)、または(2)破綻金融機関の再建や当該金融機関の吸収合併等に際し支援の手を差し伸べた金融機関を対象に、原則としてペイオフの範囲内で資金援助を行う制度のことをいう。その意味で、預金保険制度は、預金者等の保護あるいは預金の安全性に対する信認の確保を通じて信用秩序の維持を図ろうとするところに特色があるということができる。
第1表 2001年3月に期限が到来する4つの時限措置
措置の概要 | 根拠法 | |
ペイオフの一時凍結 (1996年6月) |
・預金者保護を目的としてペイオフを5年間凍結 ・破綻金融機関の受け皿金融機関に対しペイオフコストを上回る資金援助を行うための財源として特別保険料を徴収 |
金融3法 |
破綻金融機関処理のための公的資金投入 (1998年3月) |
・破綻金融機関処理に際し発生する損失の公的資金による補填を目的として預金保険機構に特例業務勘定を設けるとともに、処理資金として7兆円の交付国債を交付 ・預金保険機構に優良銀行の発行する優先株、劣後債を引き受ける金融危機管理勘定を設けるとともに、損失負担に備えて3兆円の交付国債を交付 |
金融システム 安定化法 |
破綻金融機関処理のための枠組み整備 (1998年10月) |
・金融整理管財人制度、ブリッジバンク制度、特別公的管理(一時国有化)など、破綻金融機関処理のための枠組みを整備 ・金融機能の再生に際し必要とされる資金の調達を目的として預金保険機構に金融再生勘定を設けるとともに、同勘定による借り入れに対し18兆円の政府保証を付与 |
金融再生法 |
健全な金融機関に対する公的資本注入 (1998年10月) |
・健全な金融機関が発行した株式や劣後債務を引き受け、資本増強を支援できる枠組みを整備 ・資本増強に際し必要とされる資金の調達を目的として預金保険機構に早期健全化勘定を設けるとともに、同勘定による借り入れに対し25兆円の政府保証を付与 |
金融早期 健全化法 |
ペイオフ解禁とペイオフ発動とは異なる
このうち預金者の関心をとくに集めているのが、(1)の保護措置の解除、すなわちペイオフ解禁である。ペイオフとは、先に述べたように、もともと破綻金融機関の処理方法のひとつで預金者に現金を直接支払う方式のことをいうが、わが国においては一般に、預金保険による保護対象となっていない1000万円超の預金については清算配当率で返還されることと理解されている。ペイオフの凍結措置は、金融機関によるディスクロージャー(経営財務内容の開示)が不十分な状況の下では預金者に自己責任を問うことはできないとして1996年6月、いわゆる金融3法に基づき導入された。その結果、2001年3月末までの5年間、1機関、1預金者につき元本1000万円までという預金保険の規定にもかかわらず、預金は元利金とも全額保護されることになった。
それはまた、住専(住宅金融専門会社)処理問題をめぐる議論が紛糾するなかで、信用組合以外の破綻金融機関の処理に際し公的資金の投入が封印されたことに対応した金融不安の解消策でもあった。こうした点を考慮すると、ペイオフの一時凍結は2重の意味で緊急避難措置としての性格が強いといえる。そして、この措置を財源的に裏付けることを目的として、預金保険のなかに特別勘定が設けられるとともに金融機関に対しては一律に特別保険料が同じく時限的に課された。このようにペイオフ凍結という環境の下、金融機関の経営破綻への対応に際しては現在、預金の払い戻しができなくなった金融機関の損失が預金保険制度により全額補填されるとともに、当該破綻金融機関の営業譲渡等を通じて預金のほかすべての債権が実質的に保護されている。
そして、2001年4月以降、ペイオフの凍結措置が解除され、1000万円超の預金については預入金融機関の破綻リスクに晒されることになっている。こうした点を捉えて預金者の間では「金融機関が破綻すると1000万円超の預金は戻ってこない」という見方が広まっているが、これは正しくない。ペイオフの解禁は、破綻金融機関の処理方法として、これまで5年間にわたって封印されてきた預金者に現金を直接支払うという手法が利用可能となることを意味するにとどまり、破綻金融機関のすべてがペイオフ方式に基づき処理される(これをペイオフの発動という)ことには直接つながらないからである。その意味で、ペイオフの解禁と実際のペイオフ発動とは異なる。ちなみに、破綻金融機関処理に際し預金保険制度が活用されているアメリカの事例をみても、1980年から94年にかけてFDIC(連邦預金保険公社)が実施した破綻処理件数に占めるペイオフの発動比率は8%程度にとどまっている。破綻金融機関の清算に随伴して生じる預金者や借り手が蒙る困難や不都合などといった社会的なコストや効率性、さらには金融システムへの影響等を考慮すると、例えば健全な金融機関による買収のほうがより効率的な破綻金融機関の処理につながるなど、ペイオフの発動が常に最適な処理手法であるとは必ずしもいえないからである。
それにもかかわらず、ペイオフの解禁が求められる根拠としては、次のような事情が指摘できよう。第1に、預金者や投資家の資産運用に関する自己責任意識の高揚を媒介として、金融機関経営者の運用調達行動を市場のなかにおいて規律づける、あるいはモラルハザードの発生を未然に防ぐことができる。第2に、ペイオフを発動した場合の預金払い戻し額(これをペイオフコストという)が破綻金融機関処理に要する費用のボトムラインとなって、数ある破綻処理方法のなかから最も安価な処理策の選択が促される。第3に、健全な金融機関による経営困難な金融機関の合併・買収に際し、後者を破綻金融機関とみなしてその株主等に応分の損失負担や追加拠出を求めたり、資産価値を清算価値で評価することが可能となるため、破綻金融機関の処理費用の削減につながる。
早期是正措置は残る
(2)の措置は、破綻した金融機関の処理に際し本来的には預金者に帰属する損失を国が代わって負担することにより預金者保護、信用秩序の維持を図ろうとするものであり、1998年2月に公布された金融システム安定化法、1998年10月制定の金融再生法にそれぞれ盛り込まれた公的資金による損失補填がこれに該当する。この2つの法律はともに破綻金融機関処理の枠組みの整備を目指したものであり、2001年3月までの時限措置として公的資金の投入に加え、破綻金融機関の処理策としてブリッジバンク制度や特別公的管理制度(一時国有化)が新たに導入された。預金者保護との関連でいうと、金融システム安定化法により、信用組合に限定されていた公的資金の投入対象が銀行等にも拡大されるとともに、損失補填資金として特別保険料収入に加え総額17兆円(うち10兆円は政府保証)の公的資金が準備されるなど保護措置が一段と強化された。
(3)の措置は、上記金融システム安定化法および金融早期健全化法において整備された。すなわち、金融システムの安定性維持のためには預金者保護のほか、借り手保護、金融機関による与信機能の向上も重要な課題であり、そのためには公的資金による金融機関の自己資本の充実が不可欠であるされ、健全な銀行に対する資本注入の途が拓かれたのである。そして、大手銀行を対象として1998年3月には1兆8000億円、1999年3月には7兆5000億円にのぼる公的資金が資本注入された。
また、金融システムの安定性向上のためには、預金者保護策の拡充という後ろ向きの施策の実施にとどまらず、優勝劣敗の原則にしたがって非効率的な経営状況にある金融機関に一段のリストラの実施あるいは市場からの退出を促し、預金者の金融機関に対する信認を全体として向上させることが喫緊の課題となっている。こうした認識を背景として、わが国においても金融3法に基づき自己資本比率を基準とした早期是正措置が導入され、困難に直面している金融機関に対しては監督当局が経営の健全化に向けたリストラの実施あるいは市場からの退出を命令できるようになった。その意味で、早期是正措置は従来の護送船団行政に代わってビッグバン後の日本の金融を規律づける監督手法と位置づけること ができる。早期是正措置は当初、1998年3月期決算から実施される予定にあったが、借り手保護を目的として1年間実施が猶予されるなか金融早期健全化法によりさらに発動基準が精緻化され、1999年3月期決算から本格適用されることになった。この早期是正措置は、資本注入に関する規定を除き、銀行法に基づく恒久的な措置であり、2001年4月以降も存続することになっている。
このほか、1996年6月のペイオフ凍結に際しては、金融機関によるディスクロージャーの不十分さが預金者に自己責任を問えない根拠とされたが、この点に関する環境整備も大きく進んだ。すなわち、1999年3月期以降、金融再生法による資産査定結果の公表義務づけ、実質支配基準による連結決算ベースでの不良債権額の開示など、ディスクロージャー体制は一段と充実された。加えて、2000年3月期からはいわゆるトレーディング勘定以外の金融資産に関しても時価会計が導入される結果、財務諸表に基づき金融機関の経営実態をより正確に判断できるようになることが見込まれる。このようにわが国金融機関のディスクロージャー体制の整備は急速な勢いで進捗しており、現在では欧米主要国のそれに比肩できるまで充実しているといえよう。
ペイオフ凍結は破綻金融機関処理の枠組みが未整備なことに起因する
このように、わが国においては現在、ペイオフ解禁のみに焦点が当たっているが、それは1990年代後半に信用秩序維持策として採用された4つの時限措置のひとつに過ぎない。この4つの措置はいずれも、金融不安が高まるなかで預金者のわが国金融システムあるいは金融機関に対する信認の確保を狙いとして導入されたものであり、相互に密接に連関している。そしてまた、ペイオフの5年間凍結は、金融機関によるディスクロージャーが不十分であったほか、破綻金融機関処理の枠組みが未整備なことから危機に陥った金融機関に対し市場からの退出を求められないというきわめて異例な状況の下で導入された緊急避難的な措置であることが明らかになった。それゆえ、ペイオフ解禁のみをとりあげて、その妥当性を議論することには大いに疑問が残る。加えて、仮にペイオフを延長した場合、預金者、投資家および金融機関経営者の行動を市場のなかで律するメカニズムを欠くことになってしまうという点にも留意する必要がある。
われわれとしては、ビッグバン後の21世紀日本の金融を自己責任原則および市場競争により規律づけられる世界とする、あるいは自己責任の原則を経済行動の基軸とするためにも、ペイオフは予定どおり解禁する必要があると考えている。こうした観点からすると、むしろ重要なのは、ペイオフを解禁するか否かではなく、1996年における政府表明のとおり預金者に対し自己責任を問える環境がどこまで整備されたかである。そして、環境の整備が十分進んでいない分野に関しては、今後1年間のうちに早急に整備することが求められる。幸いにも、1997年11月における大手銀行、大手証券会社の破綻など幾多の紆余曲折を経つつも、ここ3年間のうちに破綻金融機関処理の枠組みの整備や金融機関によるディスクロージャーの充実は急速な勢いで進捗をみており、その意味で、大口預金者のみならず、情報劣位にある小口預金者に対しても自己責任を問える環境はほぼ整備されたといっても過言ではない。
しかし、残念ながら、すべての問題に解決の目途が立っているわけではない。処理が大きく進捗したとはいえ、不良債権問題に解消の目途がついたと断言できる事態までにはなお至っていないからである。実際、1999年3月末現在、大手銀行17行の不良債権金額(金融再生法基準)は合計20兆8000億円という高水準で引き続き推移している。したがって、2001年4月以降ペイオフ解禁を予定どおり実行しうるか否かの鍵は、この不良債権を今後1年間のうちにどこまで処理できうるかが握っているといっても過言ではない。それゆえ、われわれには、不良債権問題の早期解決を目指して困難に直面している金融機関に対し、預金者および借り手の保護にも十分留意しつつ早期是正措置に基づき一段のリストラあるいは市場からの退出を求める以外に途は残されていないと結論づけられよう。自己責任原則というビッグバン後の21世紀日本の金融を律する基軸を確立させるためためにも、ペイオフの延長という彌縫策の実施は厳に避けなければならないのである。
ペイオフの延長だけでは預金者の信頼感をつなぎとめられない
この間、ペイオフ延期論を展開するエコノミスト等の主張は、概ね次のように要約することができる。すなわち、金融不安が完全に鎮静化していないなかで国際公約であるとしてペイオフの解禁を強行すると、信用力に劣る金融機関から大口預金が一気に流出し、金融システムは瞬時に崩壊する、あるいは大口預金の大手銀行に向けての静かな流出とともに地銀、第2地銀では資金不足からお金を貸せなくなる結果、中小企業を中心として企業の資金繰りに悪影響が及ぶなど、ただでさえ足腰が弱っている日本経済が大混乱に陥る可能性が高いと主張される。この議論は、説得的であるかのように聞こえる。しかし、子細に検討すると、ペイオフの延長がそういったタイプのシステミック・リスク顕現の可能性を排除するうえで有効であると同時に、社会的なコストも少ない政策措置であるとは必ずしもいい切れないことがわかる。 本年5月以降、第2地方銀行を中心として金融機関の破綻が相次いでいる。そして、そういった破綻事例においては、経営危機の表面化とともに大口預金が急速な勢いで流出し、資金繰りに窮したことが破綻宣言につながったケースが多いと伝えられている。2001年3月末までの間、ペイオフが凍結されているにもかかわらず、短期間のうちに巨額の預金流出が発生したのである。このことは一体、何を意味しているのだろうか。いろんな解釈が可能と思われるが、ペイオフ凍結により預金者を保護するという政府の政策が信頼されていないわけではないということは、最大公約数的な見解として大多数の人々から支持されよう。仮にそうだとした場合、当該金融機関はとっくに破綻していたに違いないからである。預金者にとって最大の懸念材料は破綻後の金融機関処理の行方であり、そこに確信が持てないため、今すぐ他の金融機関に預け代えるという行動に出たと考えられる。それゆえ、2001年4月以降、仮にペイオフ凍結が延長されたとしても、預金者が取引金融機関の経営内容に問題があり、受け皿金融機関を見つけるのが困難とみなした場合、預金流出は避けられないと判断されよう。 いずれにしても、ペイオフの凍結は対症療法的な信用秩序維持策のひとつであり、それでもって金融システムの安定化が達成できるわけではない。その一方で、ペイオフを凍結した場合、資金調達を媒介として個々の金融機関の行動を規律づけ、健全経営を促すという市場のチェック機能が封印されるため、金融機関経営者においてはモラルハザードが生じる可能性が否定できない。換言すると、ペイオフの延長は金融システムの安定化を図るうえで有効な政策であるとは必ずしもいえないほか、自己規律機能の低下、モラルハザードの発生といった社会的なコストの大きさにも留意する必要がある。それゆえ、先に指摘したように、21世紀日本の金融を律する基軸を確立させるためためにもペイオフについては予定どおり解禁するのが望ましいと考えられる。