ロシアの市場経済化移行支援とNGO −効果的な知的支援策の実施に向けて−
要約
ロシアの市場経済体制移行への模索は9年を経過した。しかし、ロシア経済は依然として苦境から脱し得ずにいる。長引く経済的苦境は、ロシアの社会秩序を溶解しつつあるように見える。核保有国ロシアのこの現状は、国際社会にとって重要な関心事である。だが、同時に、ロシアと隣接する地域にとって、潜在的利害はさらに深刻である。というのは、ロシアの自己統治能力の陰りがもたらす核管理問題や環境汚染は、ボーダーレスな性質を持つ緊急課題だからである。このような状況に対して、我が国はどのような対応を図ってきたであろうか。
これまで、我が国の対ロシア支援は、市場経済化移行へ向けた「中央政府主導型」が中心だった。ここでは、「戦後日本の経験」が強調され、主として経済的側面からの支援活動に重きを置くものだった。しかし、ロシアの経済的苦境や不安定化した社会情勢という現実を考えると、我が国の支援内容やその方法が効果的であったかどうかを問い直す必要がある。
そこで、「人材育成」というソフトウエア支援策をロシア経済の再建と市場経済移行を支える「知的支援」の核と位置づける。そして、隣接する「ロシア極東地域」を対象とした日本政府の人材育成支援策を評価すると、以下の問題点が指摘される。
第一に、変化する相手国の状況に合わせた「問題解決能力」を高めるために、多元的情報を活用した「認識力」の強化が図られねばならない。第二に、効果的な人材育成支援を実施する上で、各種支援策との間で「相乗効果」が発揮されるプログラム設計と質的改善へ向けたインセンティブが機能する「評価システム」が必要となる。第三に、研修テーマや民間委託業務、支援組織等の「重複」による非効率な予算配分を改善すべく、横断的な行政組織の調整・統合が必要になる。
これらの問題点は、日本政府によって早急に改善が図られるべきであろう。しかし、現実問題としての「行政組織」の性質を考慮すれば、これらは、一元的な中央政府主導型に基づく支援自体の限界を示す内容でもある。すなわち、我が国の対ロシア支援体制がダイナミックに大きく組替えられるべきことを示唆している。そこで、次に、中央政府以外に注目すべき支援活動の担い手としてNGOs(非政府機関)の機能に注目する。NGOsを主体とした米国型人材育成支援と比較し、我が国の効果的な知的支援の必要条件を探ると、以下のことが言える。
第一に、幅広い活動領域と情報源を持つNGOsの機能に注目し、ロシア全土で現に6万5千も存在する現地NGOsとの協力関係の構築を支援すべきである。第二に、知的支援プログラムの「評価機能」を高めるために、経済・商業分野のみならず、社会開発の分野で「明確な事業方針」と「明示的な目標」を掲げるNGOsを通じた支援活動が必要になる。
ロシア人による自律的な経済発展が最終目的ならば、市民活動の基盤ともなる現地NGOsをどのように支援すべきかという問題に自ずと行き着く。そして、そのためには、日本側において、活動的なNGOsをサポートする体制が整備されなくてはならない。一方、我が国で、ロシア極東地域の人材育成支援に携わるNGOsは皆無に等しい。このような現状を考慮すれば、NGOs活動の芽を作り、裾野を広げ、各事業展開の推進を図るためには補完的措置が必要となる。ここで、重要なサポート機能を果たすと考えられるのが「大学」であり「地方自治体」である。
大学機能の一つの特徴は、「国境を越え、世代を超えた」研究・教育活動ができる点にある。しかし、我が国の場合、「知識」は大学内に蓄積されるが、概して沈殿しがちで実社会への還元が極端に限定される傾向にある。したがって、例えば、北海道大学の「スラブ研究センター」をロシア極東地域に関する理論・実務両面での知識集積の「場」と位置づける。そして、NGOsとの協働・連携を通じた知的支援の拠点とすることも一案であろう。国立大学附属機関としての属性が問題ならば、その制約条件をはずすために必要な措置が講じられるべきである。このことは、対外的な知的支援を推進する上で、国立大学の再定義が必要になることを意味する。
先述したように、国境を介する隣接地域の利害は緊急性の高い課題である。しかし、地方自治体には現実的に外交権は認められておらず、その活動は限定的である。また、地方自治体の国際活動は、内外自治体間の相互交流や協力関係の構築という限定的なテーマに終始している。しかし、NGOsを主体とした研修事業への支援を通じて、地方自治体が「地域性の活用」と隣接地域の「交流機会の創出」に関与することができる。実際、稚内市による稚内商工会議所への支援は、NGOsを主体とした地方自治体の支援事業が有効であることを示している。
ただし、NGOsの事業活動の制約要因として重要な問題がある。それは、NGOsへの「支援資金」と「評価機能」のトレード・オフである。米国のケースでは、民間企業の出資はNGOs活動の事業評価に対する規律機能を担う反面、重要な活動が民間企業の動向に左右される面が観察される。一方、中央政府主導型の支援では、前例主義を通じて重要案件の継続性は確保されても、事業内容の評価機能が働きにくい面がある。この種の問題に対応するためには、情勢変化に対して、継続を要する事業テーマが何であるかを公示できる「見識」を創り出す「場」が必要となろう。
そこで、我が国でも、「隣接諸国地域間の経済・知的交流活動(クロスボーダー・アクティビティズ)」という研究・支援プログラムを掲げ、この下で、隣接地域の問題や、中央政府、大学、地方自治体や民間企業と内外のNGOsとの協働・連携に関わる問題を検討することを提唱したい。実際、NGOsをめぐる諸問題は、組織論的な観点からも十分研究の余地があろう。これらの研究・実践活動を通じて、国や自治体が断片的に実施している研究・支援活動をNGOsを含めて再編成を図るべきである。それによって、ロシアへの知的支援もより効果的になると考えられるからである。
21世紀政策研究所