1 月 18 日に日本銀行は金融政策決定会合で政策金利の引き上げを見送りました。今日はこのテーマについて私の考え方を述べたいと思います。
ひとことで言いますと、日本銀行が日本経済の先行きの運営にどういう影響を与えるのかということからいきますと、今回は少し軌道を外したのかなというのが率直な感想です。日本経済の回復に中央銀行の果たす役割について、市場との対話といわれる日銀の対話姿勢の中で、十分に伝えきれない何物かがあったのではないかという印象があります。
昨年は 3 月に量的緩和を解除いたしました。異常な事態にあったインターバンクにおいてお金をだぶだぶにして、決して近い将来金融で経済活動を縛るような可能性はありませんということを続けてきたわけですが、そうした異常な事態が終わったというのが昨年の 3 月の量的緩和政策の解除です。これは私は非常に重要なことだったと思いますし、全体の流れの中で十分意味のあるものだったと思います。そして昨年 7 月に政策金利を引き上げました。無担保コール翌日物の金利の誘導目標が年 0.25% ということになったわけです。これも私は意思決定として決しておかしなものではない、良いものだったと思います。
続いて、 0.5% あるいは 0.75% にまで政策金利を引き上げることも私はやるべきだというふうに思っています。それにはいろいろな理由があります。 GDP 第 2 位の日本において実質上のゼロ金利、あるいは極めて低い金利が長期に続くことは日本の資源配分のみならず、世界中の資源配分に歪みを与える可能性があります。それは例えば円キャリートレードという形で日本の銀行から安い金利で借りた金を海外において使うという問題もあります。ただ単にこれはどういう論が形成されるかだけではなくて、投資ファンドを含めましていろいろな一度流れたお金、融資として立てられたお金がその後どう回るのかというのは世界のいろいろな情勢、いろいろな金融機関、そして金融当事者のいろいろな組み合わせ、そして彼らの構成能力といいましょうか、そういうものによって変わってくるわけです。
形としては銀行ローンというものではなくても、投資ファンドのお金であっても、もともとの組成、もともとできた理由を考えると、日本の異常な低金利が原因になって世界中に影響を与えているという可能性があります。例えば、南アフリカ共和国においてある種のバブルが生まれるというケースもありますし、あるいは東ヨーロッパの地において土地、その他先行きにおいてある種の思惑が発生しそうな所に新しい買いが発生するということも起きています。もちろんそれが円キャリートレードに起因するものかということになれば、それを一つひとつ正確に何がどこに繋がったかということを追うのはそう簡単な話ではありません。風が吹けば桶屋が儲かるというような話を一つひとつ論証していくというのと似た現象になります。
しかしはっきりしていることは、アメリカに次ぐ GDP 世界第 2 位の日本において異常な低金利が長期間続くことが世界の金融情勢に対して、特にリスクを判断して投資を決めるという立場の人に対して、リスクに対して甘い判断、脇が甘くなる、リスクに対しての用意が怠られているという可能性がかなり広がっているということが言えます。もちろんこのことの具体的な検証そのものはわれわれが本来行うべきことですが、印象を越えてといいますか、単なる印象論ではなくて因果関係として、どうやら長期間日本の異常低金利が世界の資源配分の歪みに繋がっている恐れがあるというところまできているわけですから、私は金利は引き上げていくべきだと思っています。
もちろんこれに対しては日本の中でも幾つかの反対があります。日本における物価情勢との関係で物価の先行きがどんどん上がるような情勢ではなくて、あるいはもっと言えばデフレという言葉を使う人もいますけれど、先行き物価が下落する可能性もある中で、わずか 0.25% とはいえ政策金利を上げる情勢なのか、という問いかけもあります。しかし私はそのことについては、金融政策をただ単に物価の先行きだけで決める時代はもう終わっており、一国経済の中において、物価指標とそして日本銀行の政策金利を連動させて、そこだけで議論を終結させるといういきかたは決して好ましいものではないというふうに思っています。これは然るべく論ずるべきことでしょう。しかし今回日銀について言いますと、多くの人はやはり政策金利を 0.25% から 0.5% に上げる意欲があると思っていたのではないでしょうか。
もちろん金融政策決定会合は総裁、副総裁を含めまして合計 9 人の多数決で決めることになっていますので、この 9 人の人たちの先行き見通し、それから何が望ましいのか、あるいは金融市場での対話というのはどういうことを意味するのかということについて人それぞれ意見が違うわけですから、一人が決める、例えば日銀総裁が決めるというものでないことは確かです。合議の末というのが日銀法の定めですので、誰か特定の人を見識がないとか、腹がすわっていないとか、腰が引けているとか、そういうふうに言う理由はないのです。ただ全体として言うならば、そうは言っても日本銀行は市場において対話を続ける必要があるわけです。
この場合、市場での対話とは何かというと、例えばエコノミストとかストラテジスト、あるいは短資を扱っている業者の人とか、証券市場の人々、そういう人との対話ではないと私は思っています。市場での対話というのは、日本経済がどういう経路を辿らなければならないのかということについて明瞭なメッセージを出すことだと思います。その場合、明瞭なメッセージとは何かということは、一つはグローバルな要因があります。先程言いましたように、異常に長く続いた異常に低い日本の金利が世界に問題を与えているという認識について多少とも関心を持っていれば、この点について歪みを是正するための措置はかなり本気になって検討する必要がある。これは市場においてメッセージとして通すことの一つです。
それからもう一つは、この十数年の日本経済の運営の中で日本経済のバランスシートも肥大いたしましたけれども、日本国の債務が異常な水準になっているということとの関係で金融政策は問われる側面があります。
国の負債管理ということからいきますと、長期金利がもし上昇するということになると日本政府は追い込まれます。これまでの歴史が示しますように、そういうときには中央銀行に対して圧力がかかるわけです。国債の流通利回りが高くなってしまうと、満期がやってきて借換債を発行することになったとき、金利が上昇するということは国債費の負担が一挙に高まるということになります。それでとかく政府は中央銀行に対して金利が上がらないことをなんとか工夫してくれということになります。これは政策金利に対する要請ということもありますし、あるいはもし国債が値崩れするようなときには中央銀行はバランスシートを肥大化させてでも市中において売られる国債を拾い上げるべきだという圧力のときもあります。そうした事例は過去半世紀の間においてもアメリカで見られた時期がありますし、その他の国でもあります。
そういう意味ではわが国の負債管理、国の負債の管理にかかわって政府と中央銀行との間にある種の紛争といいましょうか、緊張関係が生ずるであろうということについては多くの人が言っていますし、世界中のエコノミストやマーケット関係者が注視しているわけです。
日本の中央銀行は、もし日本政府がそういういわば横車のようにして、とりあえず自分の庭をきれいにするために落ち葉を中央銀行のバランスシートに吹き寄せるような手段に出ようとしたときに、それを拒否するだけの力、あるいは信頼性というものがあるかどうか、常にチェックされているわけです。そういう意味からいきますと、今回日銀の政策を巡って日本政府と日本銀行の間にいささかの議論があったことは間違いありません。しかしこのこと自体が大きな意味をもっているというよりは、近い将来くるであろう国の債務管理にかかわって、日本政府と日本銀行とはどういう関係に立つのかということを今回の政策金利の引き上げないし据え置きという寸劇を見ながら、次に展開される劇の主役あるいは筋立てというものに思いを馳せていた人が多かったわけです。そういう人々の目からすれば、今回の日銀の政策決定のあり方は疑問を残したと言わねばなりません。残念だったと思います。
もう一つ気になりますのは、日銀の政策決定会合の結果は 9 人のうち 6 対 3 で決まったということなのですが、この結果についてのリークがなされた可能性があるということです。これは日本の各メディアにおいてどうも日銀の利上げは見送りになりそうだというのがこの2〜 3 日出るようになりました。しかしこの期間は日銀法で定めた「ブラックアウト」という期間に相当します。これは日本銀行のこの政策決定会合に臨む人たちが決して内容を漏らしてはならないということです。「ブラックアウト」というのは「消灯」という日本語にあたるでしょう。消灯になったら静かに休むということでして、今回のケースで言いますと、決定会合が近付いたわけですから、決定会合の前後においては口を閉ざす。もちろん政策審議委員も然りですし、政策審議委員の意向をいわば聞いて回るといいますか事務方として動き回る人も当然いるわけですが、その人たちも当然口にチャックというブラックアウトがかかっているわけです。しかし各有力紙またテレビでも日銀の利上げ見送りがほぼ確定的な情報として流れたということは、いわば 6 対 3 の票読みのあり方についてある種の予見を持ちうる人が漏らした可能性があるということになります。
しかしこのことはよくよく考えてみますと、日本の金融市場の値決めに大きな影響を与えます。為替に影響を与えます。債券価格に影響を与えます。株価にも影響を与えます。そうした最も重要な仕様である日銀の出方について、どうもブラックアウトが機能していなかったのではないかという疑いがあります。もしそうだとすると、日本のマーケットというのは、誰かがどこかで、十分な自覚もない人たちが、メディアに対して何かを出している可能性があるという猜疑心が広がるわけです。そうしたマーケットでは国債の売買、あるいはそこに資金を持ち込んで自分でポジションをつくっていても、ブラックアウトさえ十分守れていないマーケットということになれば、命の次に重要なお金というものをそんなややこしいところに持っていくものか、と考える人がいることは極自然の感情としてわかります。
そういう意味では日本のマーケットは十分に規律づけされていないのではないか、ことの重要性を必ずしもわかっていない人々がこの政策決定会合およびその周辺のところにいるのではないかという猜疑心が広がる可能性があります。この点においても私は今回のこの事態は相当問題なのではないかと思っています。われわれは日本の金融市場を健全なものにして、そして高齢化社会で働き終えた後の時代は何らかの形で年金の受給側にまわるわけですから、年金がきちんと運用でき、そしてそれがきちんとした成果を収めるような、公正な市場をわが国につくることなくして高齢化時代は乗り切れないということを皆意識し始めています。しかし今回日本の金融市場はそうした条件を欠いているかもしれない。まだはっきりしないのです。ひょっとしてそれに十分対応しきれていない恐れがあるということを示しているように思います。
私は今回の日本銀行の決定において市場での対話ということの意味がこの関係者全員に十分理解されていなかったのではないかと思っています。一つはグローバルな状況についての言及が十分できなかったことですし、 2 番目にはこの政策決定会合の着地点について予測を持ち得る立場の人が誰かメディアの人に話している可能性がある。メディアに話しているということはマーケットの特定の人には流れていたのではないかという議論まで当然憶測推測は及ぶわけです。日本の資本市場の健全性ということから言えば問題点が多いというふうに思います。
更に言いますと、日本銀行の政策金利の決定に何を引っ張って、何を言及して、何を理由として変更するのかというときに、金利と物価との関係にあまりにも議論を集約しすぎているというのが私の年来の主張です。日本銀行は経営者の見通しということで、短観、短期経済観測というサーベイデータを持っています。これは日本の景気変動のリズムが企業の先行き見通しに基づき、それに基づく投資によってサイクルができている以上、私はこれに言及しながら政策金利を変更するという習慣をもうつけてもよい頃だというふうに思っているわけです。何をベースにして政策金利の変更をするのかということについても、もう少し本格的な議論が行われて然るべきではないかと思います。 いずれにしろ今回の日銀の利上げ見送りについて言えば、われわれは 21 世紀における高齢化社会に見合った、あるいは GDP 第 2 位の国に見合った資本市場の形成ということからいくと、問題点は幾つもあった、われわれの足元は相当注意深く見直す必要があると思っています。
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