2007/1/12

米国のイラク増派への視点

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 今日は 1 月 11 日にアメリカのブッシュ大統領がイラクに対して 21,000 人強の兵隊を増派するという決定をしたこと、これについてどう考えるべきなのかというテーマを取り上げてみたいと思います。

 ちょうど 1 か月前になりますが、昨年の 12 月 8 日にこのイラク政策の問題について私は触れました。そこでは、イラク・スタディ・グループといわれるリー・ハミルトンとジム・ベイカーによる超党派的な意見の集約について、これがアメリカにとってとり得る手段なのかどうか、強く現実主義というものを表に出してはいるものの、果たしてそれで現在のアメリカの対イラク政策を総括することができるのかどうかを述べました。ご記憶の向きもあるかと思いますが、私は必ずしもそうした路線、すなわちイラク・スタディ・グループが言うように、兵隊をイラクから引き上げる方向で、しかもシリアとイランに対する外交の枠組みを広げるということだけで済むとは思えないという話をしました。

 そのポイントは共和党の中に二つの流派が国際関係についてあるということでした。一つはリアリズム、現実主義というものでありますし、もう一つは理念的な保守と言っても良いでしょう、最近ではネオコン、新保守派という言い方が定着しているわけですが、必ずしも現在のアメリカのリアリズム、現実主義だけでは理論の展開の軸にはならないということだろうと思っています。

 では撤収はやがてあるにしても、とりあえずは兵隊を増やすというブッシュ大統領のこの路線というものは一体どこから出たのかということになります。明確に増派をすべきであると主張していたのはフレデリック・ケーガンです。ウエスト・ポイントで軍隊の歴史を教え、そして現在ではアメリカン・エンタープライズ研究所において軍事政策の分析を行っているという人です。ネオコンの一人と言われる人ですが、少なくとも彼が議論しようとしていた、あるいは彼らのグループが考えていた中東もまた民主主義と市場経済によって究極的には色付けられるべきだという考え方を強く出していた人です。

 アメリカの共和党の中にはそういう意味ではリアリズムとこのネオコンと二つの潮流があるわけですが、その時々に議論がいったりきたりするわけです。イラク・スタディ・グループはリアリズムの立場に立って撤収・撤兵の期日を決め、それを実現化するために外交のベースを広げるという言い方だったわけです。しかしフレデリック・ケーガンやその他のネオコンの人たちが言っていたのは、こうしたイラクの誕生というか失敗が起きたのは、最初の段階においてもっと本格的な軍事展開をしなかったから、イラクにおける秩序形成が不十分になったということでした。そのくらい兵隊の数が少な過ぎたということであります。

 これは当時のラムズフェルド国防長官が、機動力があればサダム・フセインをやっつけるのに兵隊の数は要らないし、その後の治安維持についても効率的な軍隊さえあれば大丈夫なのだと言っていました。そういう意味ではフットプリントが軽いという言い方をするのですが、この足が敏速な、そういう兵隊で十分だという言い方でいったのがそもそも誤りだった、というのがケーガンたちの主張です。すなわちそれはただ単に敵を軍事的に追いつめるだけではなくて、警察官を訓練し、イラクの兵隊を訓練し、そして一度旧軍あるいは旧政府を解体して、解体された人に対して新しい職場を用意するということが必要だということです。治安を維持した上で、いわゆる文民政府の活動を形づくるためには大勢の兵隊が要るのだという主張になるわけです。

 少なくともケーガンが昨年秋に言っていましたのは 35,000 人を増派すべきだという議論でした。今回のブッシュ大統領の発表によりますと 21,000 人強ということなのでケーガンの主張よりは少し掛け値を置いたという言い方もできるかもしれません。ただ今アメリカの軍事リソースも段々限界に近付いてきています。もちろん予備役はまだあるのですが、しかし米櫃の底が少し気になるという意味において、できるだけ節約して使いたいということがあります。もしこれ以上イラクに兵隊を投入するということになりますと、他の地域で、例えば東アジアにおいて事態の急変があった場合に展開するアメリカの軍人の能力に限度が出てきてしまう。それではまずい、というようなことが計算上あったのではないかと思われます。

 いずれにしろ少しケーガンたちの言っていた人数は値切りましたが、増派を通じて一旦バグダッドを中心にして治安の回復を図り、その上で撤兵の機会を見い出す。そういう一連の流れにあったわけです。これがうまくいくのかいかないのか、われわれはこれがうまくいくことを望んではいるのですが、話はそう簡単でないことは確かです。少なくともイラク・スタディ・グループが言っている、シリアとイランについてのブッシュ政権の位置づけは依然として変化していないようです。すなわちこの地域において治安を乱す、あるいはテロリストに対して支援を行う一連の活動において、シリアとイランには問題があるという認定は依然としてついています。そういう意味では、この中東においてより大きな枠組みによって平和をもたらすということについてはアメリカ国民もあるいは世界の人々もブッシュ大統領から何も聞くことはできませんでした。

 ちょっと前まではグレーター・ミドルイースト・イニシアチブという言い方がありました。これは拡大された中東における民主主義と市場経済を中心とした体制づくり、という意味ですが、そういう表現は今ではとてもとれない。要するに、イラクという所からどうやったら兵隊をひくことができるのか、ひくためには増派せざるを得ない、これでアメリカ国民の理解を得たいというのがブッシュ大統領の演説でした。そこまで追い込まれたわけですが、もともとどこから齟齬をきたしたのかということについては、いろいろな議論の仕方があると思います。

 ごく当初について言いますと、サダム・フセイン時代のバース党、一党独裁を担っていた政党なのですが、いわばイラクに強権的で人権抑圧をももたらした政府機能として全体に行き渡っていた仕組みがありましたが、このバース党支配に対してどう考えるのかという問題があります。日本を占領した GHQ の基本的な態度はいろいろな時期にいろいろなことがありましたが、一部の戦犯を除いて旧指導者たちとそのレジームを継続させたというのが現実です。日本の軍国主義時代の政府部門の、とりわけ特定の責任者を除き、ランク&ファイルあるいは末端というところからいきますと、ご存知のようにそれが残って敗戦後も日本の政府部門を担う、米の配給をはじめとしてそうした末端の機能を担ったわけです。

 アメリカがサダム・フセインを倒した後、バース党の末端にこうした役割を果たさせるという発想はどうも十分にはなかったようです。もちろんそういう主張をした人は、間違いなくアメリカの中にもいたわけですが、これが戦略として十分には位置付けられていなかった。このためにサダム・フセインを倒したこと自体が無政府状態に近い状態をもたらしてしまった。無政府状態になればそこに付け込もうとする勢力がいろいろやってくるのは当然なわけで、イラクがいわばテロリストを引き寄せてしまう、そういう磁場を形成してしまうということに結果としてなってしまったわけです。

 そういうふうに考えますと、やはり冷戦期を戦ったアメリカの世界戦略というものとの区別が十分にはついてはいなかったということにわれわれは気づくことになります。国際社会に秩序が必要だということは明らかでありますし、 9.11 以降われわれがテロリストの攻撃に対してどのように対処できるのかという問題は日常的な問題になりつつあるわけですが、しかしその場合でもテロリストを生んだ地域においてどのような秩序をつくり上げていくのか、そのときに誰と話し合い誰の行動の変化を待つのかというテーマは極めて重いテーマであります。少なくとも、イラク戦争を開始する以前において、あまりにも議論が未熟であったと言わねばなりません。われわれはイラク戦争を開始する直前のアメリカにおいて、イラクと日本、日本というのは敗戦を間近にした日本なのですが、それがいわば横並びで比較されているということに驚きを禁じえませんでした。そういう意味では、えらく杜撰な図式で解放下のイラク社会というものに向き合おうとしているが、本当にこれで大丈夫なのかなという感じが非常に強かったわけです。このことの点検を怠ったということがあるわけです。

 考えてみますと、そういうことについてわが国はアメリカに助言する立場にあったのかどうかという問題があります。 9.11 以降世界の秩序の問題について日米間で議論を根底的に進める、根底的なレベルから世界の秩序の再建を議論するということは、政府部門同士でももちろん重要でしたし、民間部門においても当然このことは要求されていたのです。しかし十分われわれの側にもそれだけの用意はなかったというのが現実だったように思います。少なくともアメリカはこのイラク戦争で犠牲者の数が増えただけではなく、次の絵がつくれない。イラクから撤収すればイラクに新しい秩序の担い手が生まれるのかどうかという問題があるわけです。ベトナム戦争と同じだという人がいますけれども、ベトナム戦争のときはそれでも北ベトナムの秩序が南の解放戦線幹部を蹴散らすような形で、北の支配が南にも及ぶというかたちでベトナムは統一されました。

 しかしイラクの場合には、シーア派、スンニー派、そしてクルドという、この少なくとも色分けから言ってこの三つがある。あるいは、シーア派内部でもスンニー派内部でも亀裂が既に生じ始めたという指摘も増えているのです。少なくともこの三つの連邦政府とでもいうべきものがつくれるのかどうか。しかも宗教的な区分でもしやりますと地下に埋蔵されている石油資源の配分を巡ってまた議論が起きてしまう。連邦国家をつくるにしても、国家としての共通の資源という認識がシーア派、スンニー派、クルドの人々によって共有できるのかどうかという問題があります。

 いずれにしろ非常に難しい問題を今後も抱え続けることになると考えざるを得ません。当然、米軍の増派によって当面の治安の維持については多少展望がきく可能性があると私は思いますが、それが次の絵に繋がっていくのかどうかということについては早急な結論は出せないということになります。それだけアメリカ政府の憂いは大きいということになります。 2008 年の大統領選挙を巡っていろいろな立場の人が議論を始めています。共和党の中にもブッシュ大統領の立場を支持し大統領候補になろうとしている人もいるのですが、そういう人が最後まで大統領候補として勝ち抜けるかどうか、ということもまだ今のところ判断の材料はわれわれにないと言っても良いでしょう。

 いずれにしろアメリカが 2008 年の大統領選挙までのプロセスにおいて、明瞭な外交的な指針を中東において、とりわけイラクにおいてつくり上げるということは簡単ではないと思われます。これから米国議会で一つひとつ議論が進んでいくと思います。昨年の中間選挙によってアメリカの有権者の意向が議会に反映し、その議会との対話においてブッシュ大統領は行政府として着地点を見い出そうとしています。そういうある種のチェック & バランスの下において、アメリカの民主主義のプロセスは明瞭に観察されるわけですが、それが中東におけるアメリカ政策の明日に繋がるのかどうかとなるとまだまだ模索が続くと言わざるを得ません。

 リアリズムも、また思想的な、根源的な考え方も、とりあえず着地点を見い出しかねているという混迷の中で、 2008 年の大統領選挙が実質上始まったというのがこの 2007 年の年明けではないかと思います。