|
今日は「失われた 10 年」と呼ばれてきた 1990 年代の後半から 21 世紀のつい足元に至るまでの期間、この期間に司法制度の分野で何が起きたのかというテーマを取り上げてみたいと思います。
一般的に言って、この期間は日本が不況の中で七転八倒していた時期であり、これを本当につまらない時期、あるいはそのおかげでわれわれは酷い目にあったという面もありますので、「暗黒の時代」というふうに描く描き方もあります。しかしもう一つの見方として、確かに暗中模索の面はあったけれども、それぞれの分野において伝統的なあるいは従来から根付いたものに対して格闘が行われていたのではないか、その成果が次第に日本社会の中に現れ始めているのではないか、そういう仮説をもっている人たちもいます。
司法の分野について言いますと、私は明らかにこの 10 年の間に大きな変化があったと思います。普通はこれを「司法制度改革」というテーマにして取り上げ、刑事事件に裁判員として一般国民が参加するというテーマが掲げられ、それが決まり、次第にそれが実現しようとしているわけです。このことはただ単にわれわれがクジで選ばれ裁判員として刑事事件の現場に立ち会うという形で、裁判所において一定の役割を果たすということを通じて、われわれに自覚を促すような面もありますが、当然のことですが裁判官、検察官、そして弁護士、この法曹三者にとっても一般国民が裁判過程に参加するわけですからこれは大きな刺激になりました。
当然一般の人々が裁判の過程に入る以上、非合理的な理由で彼らを拘束することは無理だという判定があります。それから一般国民に裁判に参加してもらう以上、選挙人名簿に基づいてクジで選ばれた人というだけですから、法律の概念をできるだけ丁寧にやさしく説明しなければいけないということになります。ということは、ジャーゴンといわれる専門家だけに通用する言葉を使って裁判を続けるということもできなくなるわけです。そういう意味で、早く的確に裁判を進めることと、わかりやすく問題を説明することが裁判のプロセスで重要だ、ということを法曹三者が理解したことになります。
今回、いわゆる「ホリエモン事件」を裁く裁判が始まりました。この裁判を見てみますと、公判前に問題を整理整頓する、公判前整理手続きというものが現実に始まっています。争点整理というふうに言ってもよいでしょう。以前はどうだったかというと、必ずしも公判の前に当事者間において問題点の整理が行われていたわけではなく、争点整理が不十分なまま裁判に入っていました。これは「五月雨式裁判」というふうに呼ばれたこともあります。それはどういうことかというと、一つのことが掲げられ、それについて審理が進むわけですが、それが終わるとほとんど無関係のようにまた別の話が始まる。つまり五月雨みたいなというふうに表現されることになります。
本来裁判になるようなテーマについて言えば、相互に関連をもった一連の仕事ですから、争点整理という手続きを通じて一つひとつの相互関係を明らかにしておき、その上で裁判に入れば的確な判決が得られるということは誰でもわかることです。しかし法曹三者という専門家に任されている限りは、そのことは実現しませんでした。五月雨式に論点が提出されその都度とぶような形で審理が行われ、結果として時間がかかってしまうということになるわけです。「思い出の事件を裁く最高裁」という有名な川柳がありますが、本当に昔の思い出に属するものがやっと最高裁に上がってきて、それを裁いているのが最高裁だというほど裁判というのは時間がかかる。記憶のかなたにあったものを思い出さなければいけないというものだと思われていたわけです。
しかし最近の裁判は変わってきたと言えるでしょう。このライブドア事件以外にも、この間の経済事犯に関して言いますと、仮処分というものが的確に、数週間のうちに行われるという事例が続きました。しかもその仮処分の内容について言うと、かなり的確といいましょうか、当事者が、まあそうだろうなと思うことが多かったというふうに言われています。また知的財産権については知財高裁(知的財産高等裁判所)というものができました。これにはこういう専門分野について的確な判決を下し、ビジネスの世界において規範形成能力を持つものにしたいという思いもありました。事実、現在ではアジアの中で規範形成能力を持った知財高裁というものが日本の中にでき上がりつつあるという感想をもつ人も増えているわけです。
司法制度改革は結局のところ法曹三者に自己統治能力を要求したということでしょう。そのことによって結果として日本の裁判制度は規範形成能力を手にしたということになります。日本では「法の支配」というふうに言っていますが、これは立法者をも、あるいは最高の権力的地位についた人をも法は縛るということです。 rule of law というのをどう解釈するのかについてもちろん日本では疑義はありません。皆が法の支配の概念について正確な思いを持っているのです。
ところで、中国の現状をあるアメリカ人が「これは rule of law ではなくて、 rule by law だ」と言っています。日本語で言うと、 rule of law も rule by law も「法の支配」ということになりそうですが、 rule by law というのは立法を通じて人を裁くという概念です。立法が専ら権力者によって行われているという体制の下においては、 rule by law とは人民を拘束する根拠として法律があるということに近いわけです。 rule of law と rule by law の違いがどういう形で起きているのか、これ自身はもちろん検証命題ですから、中国の裁判事例のすべてが rule of law ではなくて rule by law なのだと断定するのはいかがかと思います。しかし中国の裁判のあり方、あるいは法律のあり様について一側面を象徴した言葉ではないかと私は思っています。そういう意味では、わが国における rule of law の実質上の内容の向上というものが起きているのだというふうに思うわけです。
司法制度改革はもともと弁護士登録者数を 3 万人弱から 5 万人程度まで増やすため、毎年の司法試験合格者数を 1,000 人程度から 3,000 人程度にまで引き上げるということでした。この点について日弁連も受け入れました。私の知っている 10 年以上前の日弁連は、こうした試みに極めて制限的といいますか、賛成しかねるという意見が強かったように思います。規制改革委員会とその前身であります規制緩和委員会における具体的な議論の中でも日弁連の代表者の人の意見を伺ったことがありますが、彼らは決して弁護士の数が増えることに最初から賛成というわけではなかったのが事実です。そういう意味では、ある種競争制限を通ずるカルテルに近い性格を持っていたのですが、そのことに対する批判は法曹三者の中ではなかなか出せなかったという面があります。
そこを突き破ったのが司法制度改革なのです。司法制度改革によって裁判員として一人ひとりの国民が裁判に参加する、裁判に対する国民参加が議論されるようになりますと、これが実態上の日本の裁判過程を変えたのです。もともとの意味は民主主義の裏打ちを国民参加によって実現しようという民主主義論の中で国民参加が出てきたわけですが、結果的にはどうもこれが日本における規範形成能力の向上に繋がっているということではないかと思います。法の支配における実効性、 effectiveness というものが大幅に改善することに繋がり始めています。
最初からそういう狙いがあったのかどうかということについてはいろいろな議論があります。最初の段階では、裁判に時間がかかりすぎるが、それは法曹人口が不足しているからだ、というところから国民的議論は開始されたように思います。当時の事情を考えてみますと、例えば住宅専門金融会社(住専)の破綻処理に裁判制度が使えないではないかという議論がありました。これはもう 10 年以上前の議論です。結局裁判をノンバンクの破綻処理に使えない以上、これに関与した銀行とかいろいろな金融機関には債権者、債務者の関係があったわけですが、これを行政当局の行政指導によって解消しなければならない。裁判所に持っていったら 10 年かかる。そんなことではこの不良債権問題の処理には不十分だということでした。
それから比べますと、われわれの法曹社会は一挙に展開を遂げつつあると思います。今回のライブドア事件の結論が出るのはかなり早そうではあります。このことは日本の裁判制度においてこの 10 年の間にいろいろな当事者の人たちの努力によって新しいものが生み出されてきたということだと思います。裁判員として国民が参加するのは刑事事件だけなのですが、刑事事件で争点整理が施され、五月雨式裁判が避けられるということになりますと、当然のことですがこれは民事に波及するわけです。裁判所に刑事と民事という別の入り口がたとえあったとしても、裁く人も弁護士も同じ資格の人々ですから、刑事事件における争点整理が前に出るということは、民事事件、経済的な事件についても争点整理が行われ、適宜的確な判例が期待できるということを意味するわけです。このことによって日本の、少しおおげさに言うと institution 、社会を支える制度というものに実効性が伴ってくるということになるわけです。このことはおそらく東アジアにおける日本の将来的な地位を考える上でも非常に重要なことではないでしょうか。
今回のライブドア事件、どのくらいの期間にどういう形で問題が収斂していくのか、そして裁判所がどういう判断をするのか、そういう裁判手続きという面からも非常に注目されるものだと思います。 |