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5 月下旬にドイツで講演することになりました。フリードリッヒ・エーベルト財団、それからベルリン自由大学、アウグスブルグ大学などで話をさせてもらおうと思っています。テーマは「小泉改革は日本に何をもたらしたのか」ということであり、また 9 月に小泉さんが辞めた後の政権において、どのようなテーマが日本において新たに持ち上がるのかについても議論したいと思っています。
第二次世界大戦後につくり上げてきた制度の幾つかが新しい時代にそぐわないものになってきており、経済社会の持続性が根底から問われているという意味においては、日本もまたドイツも同様なところがあります。第二次世界大戦後、まずドイツや日本の勃興によって新しい世界の秩序がつくり上げられるかに見えました。確かに 50 年代から 60 年代、 70 年代というふうに考えてみますと、日本とドイツが一つのテーマになっていたことは明らかです。今から 30 年も前になるわけですが、 1970 年代の後半にはアメリカが確かに世界のエンジンではあるのだけれども、経済そのもの全体を引っ張り上げる力が出てこない、そのときに当時の西ドイツと、そしてアジアにおいては日本が、アメリカが不十分になったエンジン機能を補うように、エンジン・カントリーとして他の国々を引っ張るべきではないかという議論がなされたほどであります。今日のように中国やインドの経済勃興、そしてそれによって世界の資源価格に大きな影響が及ぶなんていう時代が来ようとは、今から 30 年前にはほとんどの人が考えてはいなかったわけです。そういう意味では、日本やドイツの経済制度の骨格のところにどうしても克服しなければいけない古いものが残っていることは明らかです。
ドイツでは、小泉さんが取り上げたテーマの中で、一体どこまでドイツに適用できるものがあるのか、これが知りたいということはあるようです。これは当然ドイツ側のジャーナリストや学者の人たちから議論が出されるものと思っていまして、どういう議論が展開したのか、どういう議題が設定されたのかというのはまた帰国した後お話しできればというふうに思っています。
今日私が申し上げようと思うのは、小泉改革と言われる課題が小泉さんの後継者と言われる人たちに継承されるのかされないのか、というテーマです。議論は日本の中で割れているように思います。私が親しい何人かの人々も、今年の秋から全く従来とは違う、従来とは違うというのは小泉時代とは違う命題設定が行われるに違いないと言う人もいます。中には、小泉さん以前の時代の命題がもう一度出てくると言う人までいます。これに対して私は否定的です。ポスト小泉としてどなたが総理になられたとしても、小泉時代に掲げられた日本社会の持続性を確保するための改革、このテーマは外れようがないというふうに思っています。
21 世紀に入って登場した小泉政権ですが、それ以前の政権が日本が抱えた本来的な問題に対して正面から向き合うことなく問題を先送りする、例えば財政赤字というものを次々にいわば飛ばすようにして次の世代に押し付けるということを平気でしていたということに対して、これをやめたということに特徴があります。少なくとも態度としてやめようとした、そうした中でいろいろな仕組みが出てきたわけです。民間にできるものは民間でやる、官から民へという流れはまさにわれわれが今の時代に抱えている問題で、われわれ民間の資源でできることは民間で行って、政府というのは納税者という意味ですから、納税者の負担には回さないという仕組みをどれだけつくり上げられるのか、これを限度まで試してみようということが行われました。人口は減少する時代が小泉時代にやってまいりました。こういう中では最早このテーマは避けて通れない、これを外して 21 世紀の日本があるとは誰しも思えないというところにきていますから、次の政権も当然のことながらこのテーマに取り組むことになるわけです。
孫子の時代に飛ばすようにして、本来現在の時代、今生きている者が取り組まなければいけない問題を自分たちの費用支弁もせずに次の世代に、いわば子や孫のクレジットカードに勝手にサインしてしまうということは最早許されないということについて、国民的な合意が私は成立し始めたというふうに思っています。 5 年間にわたる小泉政権の時代において国民の支持率が従来の政権に比べれば相当に高い水準で持続した、そのことを次の人たちも正面から受け止めざるを得ないのだろうと思います。
そういう意味では従来の手法が復活するとは思えないのですが、それでもいろいろな政局論もあります。特に格差の問題とそれから中国・韓国をはじめとした近隣アジア諸国との外交関係、この二つを取り上げて、この二つを克服するためには小泉的なものを廃棄して別の仕組みをつくるべきではないか、少なくとも少し時計の針の歩みを緩めたり、あるいは振り子で言えばあまりにも片側に寄り過ぎたと思うのでもう一度その振り子を逆のほうに振るという微調整は必要なのではないかという議論があるわけです。
格差の問題についてはこれはいろいろな議論があります。日本経済が回復軌道をたどる中で雇用の回復が今起こりつつあります。格差のうちの全てがこれで解消するわけではありませんが、問題を少しは軽減するように働くことは明らかです。われわれもこのテーマは極めて重要だとは思っておりまして、 6 月上旬にフォーラムを開こうと思っています。特に若年層の人々が雇用機会が得難かった時代がこの 10 数年の間にはありましたので、それがフリーターとかあるいは非正規雇用というような形に問題が収斂してしまった気配があります。この問題の構造の背景にどういう力が働いていたのか、そして現在の事業所はこうした問題に対してどのように対応しようとしているのか、そして大学をはじめとして若い世代を市場に送り出す側がこの問題をどう捉えているのかといったテーマでフォーラムを行います。このフォーラムの報告も何らかの形でこのホームページで提示すると思います。
このテーマは確かに重いのですが、しかし格差の問題はそうした経済のサイクル、景気の繁閑といった循環にかかわる問題と、それから社会の背景に根付いている、あるいはある種の要因によって、例えば IT とか幾つかの要因、海外からの競争といったものによってわれわれの職場というものに構造的な変化が起きている面もありますので、それを識別して議論する必要があります。長期的な課題として向かい合わなければいけない問題についてはわれわれは正面から取り上げなければなりませんが、政局との兼ね合いで格差を議論するというのは、おそらくこの 2 〜 3 カ月の話であって、この秋以降について言えばそうした格差問題の取り上げられ方は止まるだろうと思っています。
東アジアの問題にも長期構造的な問題があります。中国も韓国も非常に長い歴史の射程の中で今動こうとしていますから、現在ただ今の日本とすぐ軌道合わせができるかどうかということはそもそもあります。もちろん過去の歴史問題というものの中で、われわれが責任を持って処理しなければいけない問題はまだ残っておりますので、このことに目を塞ぐことはあってはならないことです。しかし全てが全てこの 100 年の単位で起きている大きな変動の中で、軌道を一致させられる、あるいは軌道を一致させられることを前提に話し合いに入るというわけにはいかない問題もあるように思います。一致することと一致できないことはやはりあるのだということで、議論を少し冷静に展開する必要があります。少なくともこれは政局に絡んだ政争論という色彩を帯びているのではないかというふうに思います。
ただドイツでこういう立論をしたときに、ドイツの学者やジャーナリストがどのような反応を示すのか、確かに私自身まだ読みきれない問題があります。第二次世界大戦後ということからいきますと、ドイツも日本も確かに 20 世紀において反省すべき点が多々あるというのは国際的な了解事項ですから、ドイツの歩みと日本の歩みとどこまで一緒でどこが違うのか、あるいは近隣諸国に対する対応において日本の今日までの対応が説明しきれるかどうか、これはギリギリやってみなければわかりませんが、いろいろな立論が当然出てくるように思います。
ただその前半の部分の日本の改革というものが、簡単に看板を下ろせるようなテーマでないということについてはおそらくかなり多くの賛同を得られるのではないかというふうに思います。また、ドイツよりは日本のほうがより根底的に問題をとらえようとしているのではないかという評価が得られるのではないかと思っています。雇用慣行の問題も法律制度の問題も、競争促進にかかわるテーマも、あるいは海外からの企業の参入それから企業間取引の自由化、株式取得における例えば三角合併のように株式の交換を通じて外国の子会社と日本の企業との一体化も図れるようになるという事態も来年から予想されるわけですが、そういうことに見られる日本の踏み出しというものに対しての評価は得られるのではないか。またこのこと自体はポスト小泉の時代も続く、そういう意味では軌道設定、軌道の引きなおしというものが 21 世紀に入ってからの日本において起きたということを申し上げようと思っています。
どこまで「そうだ、そういう認識を自分たちも持っている」と言われるのかどうか、あるいは「それは甘いのではないか、成果はいまだ不十分ではないか」という議論が出るかもしれません。私自身、そのドイツの人たちの反応を楽しみに講演をしてみようと思っています。 |