2003/ 9/19 農業問題の議論を避ける風土−WTO、FTAを巡って− (RealPlayer再生)
 今週はWTOのカンクン会議で、閣僚が世界から集まったわけですが、問題の打開が出来ず、果たしてWTOのラウンドがうまくいくのかどうか、これについて懸念が高くなってきています。

 もちろん、国際的な話については今後色々出てくるでしょう。例えば今回の場合、途上国が先進国のやり方に対して文句と言いますか、注文を厳しくつけました。アメリカもEUもそれぞれ国内で農産品を保護している、このことによって途上国の農産品が先進国に入れないではないか。こんなに手厚い国内農業保護を行っていたのでは、われわれにとって市場アクセスは現実のものとはならない、という考え方です。こうした国内保護をしているにもかかわらず、途上国に対しては工業製品の市場開放をどんどん要求するではないか。また、直接投資を保護するということも、もちろん投資を受け入れる側からいけばそうした条件整備は重要なのですが、資本が十分に保全されなければいけない、という要求を先進国が途上国に一斉にかけるということに対する反発もあった、というふうに言われています。

 これは南北問題が次第に解消し始めているのではないか、というテーマ立てに対して、WTOのメンバーの中でも、必ずしもそうとは言えない、ということがはっきりしてきたように思います。中国において経済開発が非常にスピードがあがってきている。インドでもまたこの10年ほどは非常に順調な経済発展が行われている。国際市場に対して自らのマーケットを開くとともに外からの投資を前提とした動きが少しずつ広がっていることに対して、南北問題についての楽観論は少しずつ増えていると私は思いますけれど、今回のWTOの閣僚会議において問題が処理できなかったということは、コミュニケーションのレベルにおいて、或いは最低限取り交わさなければいけない合意という、そういう水準において、まだまだ問題があるということが明らかになったわけです。

 問題はそれでは日本の中でこれがどうか、ということであります。世界のメディアに比べまして、日本ではWTOの新ラウンドについての言及は相対的には低いと言えるのではないかと思います。もちろん世界の中には色々な国がありますし、メディアも色々ですから、一律の比較を行う、特に尺度をもって行うということは非常に難しいんですが、それを窺わせる幾つかのコメントもあります。それはわが国における世論調査において、WTOの新ラウンドについて国民の関心が非常に薄いというふうに言われていることです。もちろんアメリカやヨーロッパの場合は、国内における保護主義農業が消費者サイドにおいても議論されていますし、生産者サイドでも色々な議論をいまや呼び起こしておりますので、そういう意味ではWTOに、ある種晒されているこの問題に対して自分たちがどういう議論をせねばなければならないのか、或いはどういう利害関係があるのかということについて言えば、ある種の「晒し」のプロセスがあったと言えるでしょう。これに対して日本では、必ずしもこうした問題に対して自らが晒されていると、或いは消費者にとって新しい手段が手に入るかもしれない、自分たちの立場が改善することが出来るかもしれない、そうした視点からの議論が非常に少ないということを意味しているわけであります。

 それではなぜそういうことになったのかということなんですが、今日は三つほどの要因をこのWTOの新ラウンドが日本において必ずしも深い議論につながっていない、或いは広い認識につながっていないことの理由として考えてみたいと思います。

 一番目は、まず国政、国会の中において、農業問題が議論されることが極めて少ない、ということです。農水産業からのGDPへの貢献は1.3%程度にまでこのところ縮小しています。そういう意味では国政の中で農業について議論が少ないということは、すなわち、1.3%という比重だからだろうと言う人もおられます。確かにGDP貢献度が1%程度というそういう産業について、本格的に国政で議論する必要があるのかというテーマはもちろんあります。しかしこの農業の問題、保護主義農業の問題が十分に議論されないことによって、国際的な枠組みにおいて、そうした国際枠組みを作っていく、或いは既に議論されているものをどうやって受け入れていくのか、或いはもっと言えば、世界に先駆けてそうした呼びかけがなぜできないのか。これは世界における日本ということなんですが、これを議論する上では例え1%程度でも無視してはならず、むしろその1%に足を引っ張られて新しい質の議論が展開できないこと自体が問題なわけです。そういう意味ではなぜ国会の場で農業、保護主義農業についての議論が行われないのかという、非常に厳しい問題が存在します。

 それから二番目には、国内における農業の問題、農業の流通も含めて或いは保護の水準を個々の農産品毎にどのように横断的に議論するのかということについて、農業の内部における議論も極めて低調だというふうに言わねばなりません。例えば、北海道で出来る牛乳が例えば大都市圏においてどの程度売れるのかという問題があるわけですが、制限的なものがあるというふうに言われています。大都市圏において乳牛を飼っている人達は決して多くないはずですから、北海道の大規模な酪農基地からいくらでも牛乳は入ってくるはずだ、と思うのが普通の消費者の感覚だと思いますが、実際には国内も統一市場と果たして言えるのか、というテーマがあります。

 この問題も消費者の間で横断的な議論が行われたということはないように思います。国内だけをとっても、農産物は本当に統一市場なのかというテーマは、私は今議論されるべきことだというふうに思っています。それから、保護主義と一般的に言われているわけですが、農産品の個々について保護の水準が違う、このことも明らかになっているわけですが、問題はこれがどのように商品横断的に議論されているのかという問題があります。ここでも議論は十分な水準に達しているとは言えません。保護の水準は農産品の品目毎に随分異なっているわけです。伝統的な「仕切り」とでも言うべきものに相当支配されているのではないか、という考え方が当然あるわけです。

 この点については、なぜこうした「仕切り」が続くのかという一つの証明の仕方として、協同組合主義が問題を複雑にしているのではないかという説があります。協同組合においては、一人一票というのが一つの原則であります。大規模生産をしている人達も、或いは小規模な生産者に過ぎない場合においても、共同組合組織においては一人一票という原則が適用されています。このことはなかなかに合理的な枠組みを作るのには難しいというテーマがあるわけです。これは例えば証券業界、兜町などでもある時期まで言われたことですが、自由な取引、或いは取引のための手数料の自由化というテーマも兜町の中の仕切りではなかなかに議論できませんでした。ここでもやはり、証券業組合と証券業の仲間内においては基本的に一人一票という仕組みがあったものですから、仲間を追い込むようなことはなかなか同業者のミーティングにおいて決められない、というテーマが非常に長く日本の証券業界を支配してきたということがあります。同様にと言いますか、もっと明確に農業の分野においては、農業協同組合において一人一票の仕組みによってはなかなかに合理的な枠組みを作り上げていくわけにいかないという問題があるわけです。株式会社制度ですと、株主の意思を尊重するという場合に、たくさんの株を保有している人と、少なくした株を保有していない人とは、当然保有株によってウエイト付けられた、加重された形での投票ということが背景にあるわけですから、ある意味で大きなシェアを持っている、力を持っている人達の意向が反映する、という仕組みになっているわけですが、実際には農業協同組合ではこうした国内での「仕切り」はなかなか難しい。従って少しでも生産者が残っている分野においては、その人達にもう少し市場の調整を受けたらいかがでしょうか、という問いかけがしにくいというテーマがあるわけです。このことが国内で、特に農業協同組合の連合会のような場でなかなかに多くの人にとって、多くの農業者にとってはこちらの方が合理的ではないかと思う案も議論しにくい、というテーマもあるわけです。これが二番目の問題です。

 三番目には、国内の流通問題という問題があるのではないでしょうか。日本とタイとの自由貿易協定、それから日本とメキシコとの自由貿易協定、それぞれで障害になっている問題があります。タイは米がいっぱいとれるわけですから、米ということになるわけですが、米の問題は日本が非常に原則的な態度をタイに示し続けていますので、米の問題を回避して鶏肉の問題が議論として取り上げられる、そういう特徴があります。ブロイラーということになりますと、本来国内のブロイラー生産は工業生産に極めて近い過程であります。どういう形でコストを削減するのか、どうやって生産性を上げるのか、どのような投資をすればどのような収穫が期待できるのか、工業の分野で行われている経済計算とほぼ同等のプロセスがこのブロイラー産業の分野においては適用できるわけです。そのように考えますとこれは十分に投資に値する経済活動なのかどうかということが、比較的わかりやすいはずですから、工業製品の関税率を下げることについて、いくつかのプロセスを経ながら一つひとつ物事を解決したように、ブロイラーについてもできそうなのですが実際にはそうなっていません。

 日本とメキシコとのFTAにおいては、豚肉が問題となりました。養豚業者の多くの人々もブロイラーと同様工業製品に近い生産形態をとっています。固定せずにどれだけを投資するとどういう結果が出るのか、また材料とでも言うべきINPUTのところをどのように調達すればOUTPUTとしてその間どのようなものが期待できるのか、ということからいきますと、工業計算に近いものが適用できると言えるでしょう。しかし実際にこの分野でもFTAが持ち込まれますと、議論はなかなか進まなくなっているということになります。

 ブロイラーにしても養豚にしても、元々の生産者には工業計算に近いものがあるはずなのですが、実際にそれがなぜ業界を仕切る形にならないのかということになりますと、国内の流通の問題があるのではないか、という指摘があります。既にこうしたブロイラー、或いは養豚の分野における生産者の人々の中にも、業界紙の中ではありますが、色々な発言が出るようになっています。国内の流通問題もう少し合理化しないと国際社会に打って出ることが難しいのではないか、工業製品と同じなら輸出産業になるということも決して夢ではないはずだと、それを阻んでいるのは国内の流通のしがらみではないかという議論が既に提示されています。しかしこれは業界新聞には出るようになり始めましたけれども、全国的ないわばマスメディアというレベルにおいてはまだこうした問題も十分こなされていると言えないのではないでしょうか。これが三番目の理由です。

 一番目の、経済的付加価値が非常に小さいにもかかわらず、むしろそれゆえに議論が進化しないのはなぜか、という問題。それから二番目の、一人一票という協同組合主義がなにか問題の難しさを生んでいるのかもしれない、という問題があります。三番目は、日本の食糧品の流通機構に問題があるのではないか、ここにメスを加えない限り新しい時代を迎えられないのではないか。いずれも非常に重要なテーマであるにもかかわらず、国政のレベルでは、或いは日本列島を貫くマスメディアのレベルで議論が全面化していない、という問題があります。

 冒頭に申し上げましたように、アメリカでもEUでも保護農業の問題について長い歴史があることなのですが、国際社会の中で果たしてこんなことでいいのか、というテーマはそれぞれの域内、或いは国内において、一つひとつこなされるようになっています。このことが世論調査における一人ひとりの市民や国民の問題に対する理解度につながっているわけです。WTOとかFTAにからんで言いますと、日本の消費者も、広く国民と言ってもいいわけですが、問題が一体那辺にあるのかについて十分な知識がないのではないか、国際比較においても問題を十分に理解していないのではないか、と思われる回答が多くなっています。こうした横断的なアンケート調査比較をやってみますと、日本において農業問題を根底から議論する風土が欠けていることに問題があるということになるように思われます。

 カンクンで行われました9月10日以降のこの閣僚会議、うまくいかなかったというニュースはとりあえずメディアがカバーしていますけれども、本当にそれではこうした問題にどう取り組んだら良いのかということになりますと、今ここで申し上げました三つの要因について、一つひとつ見極める必要があるというふうに思っています。

 9月30日に21世紀政策研究所でもこのテーマについてのシンポジウムを開く予定でおります。もし関心がおありになるということでしたら、是非お問い合わせをいただければ、と思います。
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