2003/ 3/ 7 公務員制度改革 (RealPlayer再生)
クライアント政治からの脱却

 今日は公務員制度改革について考えてみたいと思います。われわれは政治改革が重要だというふうに常に言っています。そして政治を議論するときには、行政府の問題、公務員制度の問題も極めて政治制度との近似性が強い。改革ということになれば、両方一体にして行わなければならないということに気付きます。それはどうしてかといいますと、いまだにこの政治と行政との間のある種の関係が、改革を疎外するようなかたちで機能しているようなケースが多いからです。

 政治と行政に共通だと私が思っているのは、ある種のクライアント制度をとっているということです。政治家は自らの選挙基盤、誰が投票してくれたのかということに対して極めて強い関心を持っています。それは自分が政治家として成立している背景には、有権者が自分に票を集めてくれた、自分に票を入れてくれたということがあるわけですから、当然クライアントといいますか、自分に票を入れてくれた有権者のことを考える。これはある意味で当たり前のことですが、しかしよくよく考えてみると、このクライアント制度に問題はあるかもしれない、ということになります。これまでの保守党の政治家がいわゆる族議員になってきたという面があります。それが郵政族であったり、道路族であったり、あるいは厚生族であったり、農林族であったり、いろいろなかたちがあるわけですが、それは自分たちのクライアントがそこにいるという意識があって成立っていたと言えるでしょう。

 小泉内閣が成立して以降、このクライアント政治とでもいうべきものに大きな変化の兆しがあります。改革は進んでいるのか、あるいは進んでいないのか、これは評価する人によって随分違うようです。私は小泉政治とでもいうべきものが、どこかの時点で総括されるときには、日本のクライアント政治というものに大きな変化が生まれたことになるのではないかと期待しています。

 例えば公共事業について言いますと、公共事業の減額に対して大きなメスが振るわれています。このことは道路公団改革、ファミリー企業改革等とりましても、当然、明らかにこれはクライアント政治の一つにメスを加えることになります。それから、医療費の問題で、3割負担に対して医師会等の反対が強いわけですが、これが実現することになりますと、ここでもクライアント政治というものに、従来のものとは違うものが付け加わるわけです。農協改革もテンポを上げています。もちろんこれは非効率である、あるいは赤字を垂れ流す可能性が強い、というところに対して改革が行われるのは経営上当たり前のことですが、しかし農協改革を通じて、政治がクライアント向けであるということから脱却する一つの効果を持つといえるでしょう。それから、郵政につきましても、これは郵政公社が4月から発足するということで、従来あった利権とか票との関係は当然断ち切られる。企業会計原則でもって、郵政公社の行動が記述されるようになるとともに、郵政公社の総裁はこうした経営全般に責任を持つことになりますから、ここでファミリー企業という問題にも当然メスが入りますし、政治との関係についても明確な規律が導入されることになるでしょう。

 このように考えてみますと、かつての道路族とか、農林族とか、厚生族とか、郵政族とかいう、こういうクライアント政治には明らかに変化が見え始めています。これは行政との繋がりが強いから、政治と行政は一体でこうした問題に、まあ言えば抵抗勢力として振舞うという仮説があるわけです。そういう面も明らかにあるわけです。しかし、どちらかというと私は政治家のほうが変わり身は早いだろうと思っています。もし従来のクライアント政治というものではもはや済まないと、より広く有権者をとらえ、その中で多数派を形成する以外にないと考えますと、クライアント政治からの脱却というのは割合政治の世界では早いかもしれないと思います。

 もっと言えば、政治家の場合は組織でなにか仕事をしているというよりも、企業規模で言えば、零細企業という規模で仕事をこなしてきています。これは政党政治の浸透度との関係もありますので、そのこと自体プラスの評価かどうかわかりません。しかしもし、フットワークのいい小規模企業というかたちで政治家を考えてみますと、経営環境の変化、あるいは政治環境の変化と言ったほうがいいんでしょうが、そういう中で自分の強調点、あるいは差異化といいましょうか、他の候補と自分がどういう点において違いがあるか、どういうかたちで有権者にアピールできるかを考えるとなりますと、従来のクライアント政治から脱却するのは割合早いかもしれない。あるいはもっと言えば、衆議院議員でいえば3年ちょっとの間には、今までの平均的にいって総選挙があるわけですから、4年の任期があるといいましても、実際は3年程度すると必ずテストを受ける。もう一度有権者の信託の前で、自らもう一度裸になって取り組むということが制度化されていますから、ある意味でその洗礼を潜る中で自らを変えていく。クライアント政治だったとしても、それを自分の手で変えていくことが迫られる。そういう契機があるわけです。



公務員制度の抱える問題点

 行政はこれまでそうした政治との間で密着してきました。族議員の先生方を優遇する、いろいろな意味で連絡を密にするということは、それぞれの役所ごとにあったわけです。ところが政治家のほうがもしクライアント政治を脱却しようと考えたときに、行政はどうなるかといいますと、私は行政のほうが変化は遅いと思います。もっと言うと行政は大組織です。大組織の転換はかなり難しい。ここに公務員制度というものがあわせ乗っかってきている、というふうに思います。もしクライアント政治を政治家のほうが脱却したときに、行政はクライアント行政というものから脱却できるのかということがあります。

 例えば農水省、あるいは経済産業省という経済官庁を考えてみますと、行政の対象はやっぱりクライアントだということです。自分のところにきて、生産者の立場からこういう政策がして欲しいとか、あるいはこういう補助金が欲しいとか、あるいはこういう立法を頼みたいとか、生産者が役所にやってきて意見交換する中で、こういうことが国策上必要である、21世紀の日本のためにはこういうことが必要であるといった話をする。確かにそれは重要な一つの対話ではあるわけですが、とかくこうした経済官庁をとってみますと、自分のところに依頼にくる、いわばクライアントこそが自分たちの対象であるというふうになりがちです。例えば農水省においても、あるいは経済産業省においても、これは例として申し上げているわけですが、縦割りで、業者にもっぱら力点が置かれ、利用者あるいは国民、消費者、こうした人の立場がなかなか政策に反映できないという欠陥があるわけです。それは行政がクライアント行政になって、お客様というのは自分の机の前にきて何かものを言う人、要請をする、陳情をする、こういう人達が自分たちが大事にしなければいけないクライアントなんだ、というかたちをずっととってきたことがあります。そういう意味では、政治がもしクライアント政治を越えていくというときに、行政はそれを超えられるのかという問題があります。これはまず、perceptionといいましょうか、認識に関わるところでなかなか難しい問題が一つあります。

 さらに難しい問題があるのは、まさに公務員制度そのものであります。日本の中央官庁をとってみますと、例えば官房長という役職があります。官房長というのは、いろいろな仕事がありますが、一つは省内の人事です。これは若い人から50前後、あるいは50代の人も含めての人事です。50となるとだんだん数は減ってきているわけですが、そういう人は絞込みをして、同世代の人が局長になれば、局長になる機会がなかった人は外に出ることになっているので、ある年齢以降はずっと絞込みが行われています。しかし、50代半ばぐらいまでの人を全体マネージしているというのは、これは分かりやすいことです。

 そしてもう一つ、この官房長の人事にOB人事があります。現在では70歳まで天下り先の面倒を見るということは事実上不可能になっていると思いますが、ある時期まで、例えば10数年前ぐらいまでを考えてみますと、70歳近くまでは高級官僚の天下り先をいろいろ職探しするというのも官房長の役回りにあったと言われています。そうしますと、50くらいからは現役の人がどんどん少なくなってまいりますので、70までというふうにもし考えてみますと、20年近くOBの面倒を官房長は見る。そして、新卒の人から50までと考えますと、これは25年あるいは20数年という人があるわけですが、現役は20数年分、そしてOBは20年分という、この40数年という厚みが実際には官房長のポストさばきにかかわっていた、という面があります。公務員制度というのは、こういう全体を称して公務員制度と考える必要があるわけです。

 それでは公務員制度改革となると、一体何をどう改革するのかということになります。民間企業では能力給が入るということがありますし、またいろいろな意味での評価を入れて、それを報酬にも反映させるということがあるわけです。それでは行政において、公務員制度において、誰がどういう評価をするのか、先ほど言いましたように、もし行政がクライアント行政だということになりますと、評価はクライアントに対して、すなわち門前に市なす人に対して、自分のところに来ていろいろな陳情をする人に対して、それを効率的に立法化したり、あるいはそこに配分規準をつくった人を評価するのかという問題になってくるわけです。これも一つの確かに尺度ではありますが、国民にとってふさわしい公務員制度とか、評価の尺度なのかどうかとなると、なかなかに現実には難しい問題があります。公務員制度の評価にかかわる、能力給とか、報酬をどうやって与えるのか、それは広く議論したほうがいいと思いますし、努力した人と努力しなかった人に、もう少し格差が入ったほうがいいと私は思っています。しかし、評価はかなり難しい問題です。特にクライアント政治、クライアント行政、この一体化の中であるものを、丸ごと認めてしまうという立場に立つのか立たないのかということが、行政評価には決定的に重要になるわけです。

 政治のほうは割合に早くクライアント政治を脱することができる。それは規模でいえば零細だから。クライアント行政のほうは、背景に40数年の人の集団を抱えている。巨大組織であるが故にその転換は難しい、そういう問題が私はそもそもあるのではないかと思っています。公務員制度改革はいろいろなレベルで、いろいろな視点で論じられなければなりませんが、第二次世界大戦後の日本の行政というものが、一体どういう性格のものであったのか、そして21世紀の行政とは一体どの規模で何をどういうかたちで実現するのか、そのことを論じないと能力給の問題とか、それから報酬制度というものが、簡単に入るとは言えないと思われるわけです。

 また、いわゆる天下りという点についても、より広く公務員制度の中で自らを磨いてきた人達を、より広い社会が必要とする人材基盤の中にどうやって戻していくのかという視点を持たないと、このいわゆる天下り問題も論ずることは難しい。あるいは天下りを論じて新しい規準をつくることはできなくなるわけです。そういう意味で、公務員制度はもう少し視野を広くとって議論せねばならない問題ではないかと思っています。

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